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『
2011年06月30日11時52分 提供:MAMApicks
http://news.livedoor.com/article/detail/5673322/
海外暮らしの団塊ジュニア母が思う日本の「品格」
日本を離れ、はるばるヨーロッパにやって来てからしばらく経つ。
学生時代に海外にいた時はもっと喜楽なもので、愚かにもすっかり「かぶれ」だったのだが、家族での海外暮らしを経て、ド近眼の私なりに初めて見えてきた日本の良さがある。
不思議なことに、それはかなり平和な日本で育ててもらった団塊ジュニアの私が、今まであまり大事だと思っていなかったものごとの側にある。
質素とか忍耐とか礼儀とか伝統とか、どっちかって言うと私たちが昔
「もうそんなところに価値観ないでしょ」
と否定的に笑ったものの側にある。
東北地方太平洋沖地震後、日本人は以前あれほど
「失われた」と声高な自己批判に遭っていた「品格」
を、想像もしなかった形で取り戻すこととなった。
震災後、これまで
当然あるはずと思っていたものがなく、
当然大丈夫だと思っていたものが全然大丈夫じゃない暮らしが続き、
もともとの持ち味なのに忘れがちになっていた利他精神や節約意識が目覚めた。
海外から、行儀正しく忍耐強い国民であると評価され、日本の技術力や経済力への深い信頼を示され、敗戦国・被爆国でありながら現在の位置にある日本をあらたまって褒めてもらうと、それまであれほどグツグツしていた日本人内での比べっこや足の引っ張り合いや外国人批判が目に見えて収束した。
不況だ格差だとぎすぎすしていた気持ちが、震災後、洗われたようにニュートラル、いやむしろ謙虚になっている。
海外から遠く近く日本の様子を気にかけている立場としては、日本の変化が大きくて驚く。
特に自分の世代の周辺、母数だけやたら多くて競争のなか走り続けていた年代の変化が大きくて、ひょっとして私たちは、本当はちゃんと「利他」して「節約」して国とか家族とか自分とかについて真面目に真剣に考えたかったのではないか、でもそんな余裕もなくてできなかったのではないかと思う。
ちょっと年配の方に「品格」なんて言われるとつい、品格ってなんだよ、そんな精神論で業績上がるわけ、と悪態をつきたくなってしまう一方で、もう社会人としても親としてもそこそこ年を経てしまって、色々知って、すり切れてしまって、実は「品格」って言葉に代表されるトラディショナルな美徳の力と良さを否応にも感じざるを得なくなってしまっていた、そんな気風があった気がする。
日本人で、社会人で、親で、子で、妻/夫で、女/男で。私たちは、これから何を目指し、何を話し合い、何を教え継いでいけばいいだろう。
子どもたちが地震ごっこや津波ごっこをするのを見て、どう対応したらいいか悩む先生やお母さんがいる。
仕事を投げ打って車を駆り、被災地に向かったひとたちがいる。
実家が被災し、長い間満足に連絡も取れていなかった老親との同居を始めたひとがいる。
家族を安全な場所に住まわせるため、懐かしい地元に戻り、新しい働き方を模索するひとがいる。
みんな、他人のためにひざまずくことの出来る、誠実で働き者の日本人だ。
これを品格と呼ぶかどうかは他の人に任せたい。
ただ、
他人のために自然とひざまずくこころのありよう、これが
日本の国際競争力
なのだと、私は強く信じている。
』
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インタネでヒマつぶし2011/06
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2011年6月30日木曜日
北海道警察:日本で一番悪い奴ら
_
『
BLOGOS 2011年06月29日17時18分
http://news.livedoor.com/article/detail/5672754/
北海道新聞はおかしくないか、他紙も見て見ぬふり? - 柴田鉄治
6月18日の朝刊の社会面に小さな記事が載った。
朝日新聞も読売新聞も毎日新聞も、どこもベタ記事だったから、気がつかなかった人も多いに違いない。
北海道警の裏金問題について書かれた2冊の本の記述に名誉毀損の部分があると、元道警総務部長が北海道新聞社と2人の記者、それに出版社を訴えていた訴訟に対し、最高裁が上告を棄却して道新などの敗訴が決定したという内容である。
3紙の記事とも詳しい経緯の説明もなく、
「72万円の支払いを命じた2審の判決が確定した」
という骨子だけの記事だから、これまでの動きを詳細に追ってきた人以外は、何のことかさっぱり分からなかったに違いない。
たまたま私は、この訴訟の背景にある事実を知って
「日本のジャーナリズムにとって重大な問題だ」
と注目してきたことなので、この機会にその事実を皆さんに伝え、皆さんにも一緒に考えてもらいたいと思う。
話は7年前にさかのぼる。
北海道新聞は、2003年から04年にかけて道警の裏金問題を徹底的に暴く大々的な調査報道を展開した。
裏金とは、正式の予算として認められている、たとえば捜査報償費などの項目を予算通り使用したように見せかけて、他に流用することだ。
これまでにも全国各地の警察で時々、明るみに出た問題である。
裏金の目的は、飲み食いなどの私的な流用もあるだろうし、転勤者への餞別などにも使われていたようだ。
「不正を取り締まるべき警察が裏金づくりとは」
と明るみに出るたびに大きな話題にはなってきたが、それ以上には進まなかった。
ところが、北海道内で抜群の力を持つ道新が、全力を挙げて取り組んだ裏金キャンペーンだけに成果も大きかった。
03年11月、ついに道警本部が組織的な裏金づくりをしていたことを認め、警察官らが自腹を切って
合計9億6000万円のカネを国庫や道に返済する
とともに道民に謝罪した。
組織的な裏金づくりを公式に認めた全国初のケースとなったのだ。
この偉大なジャーナリズムの成果は、2004年度の
新聞協会賞をはじめ、
日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞、
菊池寛賞、
新聞労連ジャーナリスト大賞
など、ジャーナリズムに関する賞を総なめにするという輝かしい結果となって現れたのである。
ここまでは「さすがは道新だ!」という絶賛の声が全国に鳴り響いたのだった。
が、そのあとがいけなかった。
恐らく、この道新の輝かしい成果に対して道警側が「報復的な行動」に出たのだろう。
道新だけには教えないといった嫌がらせがつづき、それに悲鳴を上げた道新側が毅然とした姿勢をとらずに、道警との「関係修復」に動いたようなのだ。
05年7月から06年5月にかけて道新の編集幹部と元道警総務部長が30数回にわたって密かに会談したことが、のちに明るみに出る。
この会談で、道新側から「どうしたら許してもらえるか」といった奇妙な問いかけまであったようなのである。
この会談と併行するような形で、道新側の不可解な動きが次々と出てくる。
06年1月に、9ヶ月も前の記事に対する訂正記事が突然出て、編集局長や裏金取材班が処分されたり、裏金取材班の主要メンバーを次々と人事異動したり、したのだ。
06年5月に、元道警総務部長が起こした名誉毀損の裁判も奇妙なものだった。
講談社から出た『追及・北海道警「裏金」疑惑』と
旬報社から出た『警察幹部を逮捕せよ!』
のなかに出てくる「総務部長が本部長から叱責された」という部分に限っての訴えなのだ。
いずれも出版されてから2年も経ってからの訴えであり、その間に、出版社への抗議なども一切なかったというから不思議である。
しかも、総務部長が本部長から叱責されたそもそもの原因が、裏金問題について「知事が調査すると答弁しないように」と道庁幹部に頼んだことだったというのに、その事実を大々的に報じた道新の記事は、裁判の対象からはずすという奇妙な訴訟だったのである。
この裁判の判決にもいささか首を傾げざるを得ないが、それよりなにより理解に苦しむのは、自社の輝かしい報道の成果を自ら貶めるという道新幹部の行動である。
メディアの調査報道によって不祥事を暴かれた権力や組織が、報復の脅しや嫌がらせをするケースは珍しいことではなく、それに対して最も大事なことは、当のメディアの幹部がいささかも揺らぐことなく、毅然とした姿勢を保つことだ。
米ワシントン・ポスト紙のウォーターゲート事件報道で、ニクソン政権からさまざまな脅しや嫌がらせを受けた同社のグラハム社主が
「私が刑務所に行けばいいのでしょ」
と平然としていたという話は有名だ。
また、道新に対する道警のあからさまな嫌がらせをそばで見ていながら、見て見ぬふりをしている他紙の姿勢も、いただけない。
特ダネ競争は競争として、権力と闘うときにはメディアの連携が重要だ。
メディアの連携といえば、米ニューヨークタイムズ紙のペンタゴン・ペーパーズ報道で、政府から掲載を止められるやワシントン・ポスト紙やロサンゼルスタイムス紙が次々とリレー掲載した話を思い出すが、何もそこまでいかなくとも、道新の孤立化を黙ってみていることはなかったと思う。
ところで、こうした道新の「変身」ぶりに嫌気がさしたのか、裏金取材班のデスクとして中心的な役割を果たしてきた高田昌幸氏が、この6月いっぱいで途中退社するという。
社内に残って闘ってほしかったが、前途に希望が見出せなかったのだろう。
政治家の介入によるNHKの番組改変事件で、内部告発や法廷証言などで闘った永田浩三氏や長井暁氏らも相次いで途中退社している。
こんなことで日本のジャーナリズムは大丈夫なのだろうか。
もちろん、戦後の日本のジャーナリズムの歴史に燦然と輝く、あの道新ともあろうものが、こんなことで魂を失うとは思いたくない。いや、必ず立ち直ると、私は信じているが…。
』
Wikipediaより
『
北海道警裏金事件
北海道警裏金事件(ほっかいどうけいうらがねじけん)とは、2003年11月に北海道警察旭川中央警察署が不正経理を行っていたことが発覚し、後に各部署、各課、各警察署(厚別警察署、手稲警察署を除く)でも同様な事が発覚し関係幹部が大量処分された事件である。
この事件を発端に立て続けに各地の警察本部でも同様なことが判明し、幹部らが懲戒処分を受けている。
■事件の内容
この事件の特徴は、捜査協力者がいたことにして、その費用を本部に請求し、その費用を警視以上の幹部が私的流用していた点である。
また、偽領収書を作成もしていた。
主に裏金作りをしていたのは本部の次席や管理官、署では次長又は副署長が担当していたが、自らも裏金を受け取っていた。
2003年11月28日には、時の警察本部長・芦刈勝治警視監(07年2月警察庁辞職)が定例会見で「不正経理の事実はない」と否定した。
高橋はるみ道知事はこれを受けて「疑惑を否定した道警本部長の発言は重い」と疑惑を否定する道警を支持するコメントを発表し、道としてこれ以上の真実追及は行わずに幕引きを計ろうとした。
この高橋知事の方針は各種メディアや道民から強い批判を受け、後に市民オンブズマンが中心となり追求が行われ、道議会でもこの件が取り上げられるようになり、年が明けた2004年にようやく高橋知事や道警本部長が重い腰をあげ、内部調査に着手した。
また北海道新聞が2003年から特集を組んで追及を開始している。
2004年2月になって、元釧路方面本部長原田宏二が、
「自分が退職するまでは裏金が存在していた」
と告発し、更に翌月には、弟子屈警察署次長を最後に退職した元警部が長年にわたり裏金作りをしていたことを告発し、後に元生活安全部長も同じようなことを告発した。
これを境に道警は更なる内部調査を行ったが現在でも事実解明をしているとは言いがたい。
内部調査メンバーはいずれも副署長や次席を経験した幹部ばかりであった。
しかも、後の調査結果の発表では当時の本部長や警務部長、総務部長のいずれも「私的流用はなかった」と発言したが、告発した二人は
「私的流用は間違いなくあった」
と言うなど食い違いが見られた。
2004年8月には、興部警察署長が裏金問題のために自殺した。
遺書では「自らも裏金を作り受け取っていた」と書かれていた。
冬頃には北見方面本部警備課でも裏金疑惑が浮上し、2004年12月になり内部処分を発表した。
処分者数は3,235人で、懲戒処分が 98人、減給は86人、戒告11人、内規処分が本部長をはじめ137人、更に2750人が口頭厳重注意や口頭注意で最も重かったのが停職1ヶ月(1人)で、日本警察史上、北海道道警史上初の大規模不祥事事件の割には軽い処分であった。
この事件での裏金総額は2億5600万円で、2004年12月に道に返還した。
■事件後の動き
2005年1月には民主党の代議士の03年北海道知事選次点の鉢呂吉雄及び(鉢呂と90年衆院初当選同期で同じ横路グループ幹部)旭川弁護士会会長経験者佐々木秀典が元道警幹部や現職を幹部7人を「業務上横領」で刑事告発をしたが不起訴になり、2006年に検察審査会で起訴相当との結論が出された。
2005年4月、北見方面本部の警備部警備課で元課長が偽造領収書を会計検査院に提出したとして、有印私文書偽造・同行使と偽計業務妨害容疑で書類送検された。
2007年8月、98年から99年にかけて本部刑事部捜査第二課での捜査費、捜査報償費の不正使用に関して警察庁は当時の課長だった警視正を長官訓戒処分とした。
』
● 北海道警察日本で一番悪い奴ら 織川 隆著:講談社
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『
BLOGOS 2011年06月29日17時18分
http://news.livedoor.com/article/detail/5672754/
北海道新聞はおかしくないか、他紙も見て見ぬふり? - 柴田鉄治
6月18日の朝刊の社会面に小さな記事が載った。
朝日新聞も読売新聞も毎日新聞も、どこもベタ記事だったから、気がつかなかった人も多いに違いない。
北海道警の裏金問題について書かれた2冊の本の記述に名誉毀損の部分があると、元道警総務部長が北海道新聞社と2人の記者、それに出版社を訴えていた訴訟に対し、最高裁が上告を棄却して道新などの敗訴が決定したという内容である。
3紙の記事とも詳しい経緯の説明もなく、
「72万円の支払いを命じた2審の判決が確定した」
という骨子だけの記事だから、これまでの動きを詳細に追ってきた人以外は、何のことかさっぱり分からなかったに違いない。
たまたま私は、この訴訟の背景にある事実を知って
「日本のジャーナリズムにとって重大な問題だ」
と注目してきたことなので、この機会にその事実を皆さんに伝え、皆さんにも一緒に考えてもらいたいと思う。
話は7年前にさかのぼる。
北海道新聞は、2003年から04年にかけて道警の裏金問題を徹底的に暴く大々的な調査報道を展開した。
裏金とは、正式の予算として認められている、たとえば捜査報償費などの項目を予算通り使用したように見せかけて、他に流用することだ。
これまでにも全国各地の警察で時々、明るみに出た問題である。
裏金の目的は、飲み食いなどの私的な流用もあるだろうし、転勤者への餞別などにも使われていたようだ。
「不正を取り締まるべき警察が裏金づくりとは」
と明るみに出るたびに大きな話題にはなってきたが、それ以上には進まなかった。
ところが、北海道内で抜群の力を持つ道新が、全力を挙げて取り組んだ裏金キャンペーンだけに成果も大きかった。
03年11月、ついに道警本部が組織的な裏金づくりをしていたことを認め、警察官らが自腹を切って
合計9億6000万円のカネを国庫や道に返済する
とともに道民に謝罪した。
組織的な裏金づくりを公式に認めた全国初のケースとなったのだ。
この偉大なジャーナリズムの成果は、2004年度の
新聞協会賞をはじめ、
日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞、
菊池寛賞、
新聞労連ジャーナリスト大賞
など、ジャーナリズムに関する賞を総なめにするという輝かしい結果となって現れたのである。
ここまでは「さすがは道新だ!」という絶賛の声が全国に鳴り響いたのだった。
が、そのあとがいけなかった。
恐らく、この道新の輝かしい成果に対して道警側が「報復的な行動」に出たのだろう。
道新だけには教えないといった嫌がらせがつづき、それに悲鳴を上げた道新側が毅然とした姿勢をとらずに、道警との「関係修復」に動いたようなのだ。
05年7月から06年5月にかけて道新の編集幹部と元道警総務部長が30数回にわたって密かに会談したことが、のちに明るみに出る。
この会談で、道新側から「どうしたら許してもらえるか」といった奇妙な問いかけまであったようなのである。
この会談と併行するような形で、道新側の不可解な動きが次々と出てくる。
06年1月に、9ヶ月も前の記事に対する訂正記事が突然出て、編集局長や裏金取材班が処分されたり、裏金取材班の主要メンバーを次々と人事異動したり、したのだ。
06年5月に、元道警総務部長が起こした名誉毀損の裁判も奇妙なものだった。
講談社から出た『追及・北海道警「裏金」疑惑』と
旬報社から出た『警察幹部を逮捕せよ!』
のなかに出てくる「総務部長が本部長から叱責された」という部分に限っての訴えなのだ。
いずれも出版されてから2年も経ってからの訴えであり、その間に、出版社への抗議なども一切なかったというから不思議である。
しかも、総務部長が本部長から叱責されたそもそもの原因が、裏金問題について「知事が調査すると答弁しないように」と道庁幹部に頼んだことだったというのに、その事実を大々的に報じた道新の記事は、裁判の対象からはずすという奇妙な訴訟だったのである。
この裁判の判決にもいささか首を傾げざるを得ないが、それよりなにより理解に苦しむのは、自社の輝かしい報道の成果を自ら貶めるという道新幹部の行動である。
メディアの調査報道によって不祥事を暴かれた権力や組織が、報復の脅しや嫌がらせをするケースは珍しいことではなく、それに対して最も大事なことは、当のメディアの幹部がいささかも揺らぐことなく、毅然とした姿勢を保つことだ。
米ワシントン・ポスト紙のウォーターゲート事件報道で、ニクソン政権からさまざまな脅しや嫌がらせを受けた同社のグラハム社主が
「私が刑務所に行けばいいのでしょ」
と平然としていたという話は有名だ。
また、道新に対する道警のあからさまな嫌がらせをそばで見ていながら、見て見ぬふりをしている他紙の姿勢も、いただけない。
特ダネ競争は競争として、権力と闘うときにはメディアの連携が重要だ。
メディアの連携といえば、米ニューヨークタイムズ紙のペンタゴン・ペーパーズ報道で、政府から掲載を止められるやワシントン・ポスト紙やロサンゼルスタイムス紙が次々とリレー掲載した話を思い出すが、何もそこまでいかなくとも、道新の孤立化を黙ってみていることはなかったと思う。
ところで、こうした道新の「変身」ぶりに嫌気がさしたのか、裏金取材班のデスクとして中心的な役割を果たしてきた高田昌幸氏が、この6月いっぱいで途中退社するという。
社内に残って闘ってほしかったが、前途に希望が見出せなかったのだろう。
政治家の介入によるNHKの番組改変事件で、内部告発や法廷証言などで闘った永田浩三氏や長井暁氏らも相次いで途中退社している。
こんなことで日本のジャーナリズムは大丈夫なのだろうか。
もちろん、戦後の日本のジャーナリズムの歴史に燦然と輝く、あの道新ともあろうものが、こんなことで魂を失うとは思いたくない。いや、必ず立ち直ると、私は信じているが…。
』
Wikipediaより
『
北海道警裏金事件
北海道警裏金事件(ほっかいどうけいうらがねじけん)とは、2003年11月に北海道警察旭川中央警察署が不正経理を行っていたことが発覚し、後に各部署、各課、各警察署(厚別警察署、手稲警察署を除く)でも同様な事が発覚し関係幹部が大量処分された事件である。
この事件を発端に立て続けに各地の警察本部でも同様なことが判明し、幹部らが懲戒処分を受けている。
■事件の内容
この事件の特徴は、捜査協力者がいたことにして、その費用を本部に請求し、その費用を警視以上の幹部が私的流用していた点である。
また、偽領収書を作成もしていた。
主に裏金作りをしていたのは本部の次席や管理官、署では次長又は副署長が担当していたが、自らも裏金を受け取っていた。
2003年11月28日には、時の警察本部長・芦刈勝治警視監(07年2月警察庁辞職)が定例会見で「不正経理の事実はない」と否定した。
高橋はるみ道知事はこれを受けて「疑惑を否定した道警本部長の発言は重い」と疑惑を否定する道警を支持するコメントを発表し、道としてこれ以上の真実追及は行わずに幕引きを計ろうとした。
この高橋知事の方針は各種メディアや道民から強い批判を受け、後に市民オンブズマンが中心となり追求が行われ、道議会でもこの件が取り上げられるようになり、年が明けた2004年にようやく高橋知事や道警本部長が重い腰をあげ、内部調査に着手した。
また北海道新聞が2003年から特集を組んで追及を開始している。
2004年2月になって、元釧路方面本部長原田宏二が、
「自分が退職するまでは裏金が存在していた」
と告発し、更に翌月には、弟子屈警察署次長を最後に退職した元警部が長年にわたり裏金作りをしていたことを告発し、後に元生活安全部長も同じようなことを告発した。
これを境に道警は更なる内部調査を行ったが現在でも事実解明をしているとは言いがたい。
内部調査メンバーはいずれも副署長や次席を経験した幹部ばかりであった。
しかも、後の調査結果の発表では当時の本部長や警務部長、総務部長のいずれも「私的流用はなかった」と発言したが、告発した二人は
「私的流用は間違いなくあった」
と言うなど食い違いが見られた。
2004年8月には、興部警察署長が裏金問題のために自殺した。
遺書では「自らも裏金を作り受け取っていた」と書かれていた。
冬頃には北見方面本部警備課でも裏金疑惑が浮上し、2004年12月になり内部処分を発表した。
処分者数は3,235人で、懲戒処分が 98人、減給は86人、戒告11人、内規処分が本部長をはじめ137人、更に2750人が口頭厳重注意や口頭注意で最も重かったのが停職1ヶ月(1人)で、日本警察史上、北海道道警史上初の大規模不祥事事件の割には軽い処分であった。
この事件での裏金総額は2億5600万円で、2004年12月に道に返還した。
■事件後の動き
2005年1月には民主党の代議士の03年北海道知事選次点の鉢呂吉雄及び(鉢呂と90年衆院初当選同期で同じ横路グループ幹部)旭川弁護士会会長経験者佐々木秀典が元道警幹部や現職を幹部7人を「業務上横領」で刑事告発をしたが不起訴になり、2006年に検察審査会で起訴相当との結論が出された。
2005年4月、北見方面本部の警備部警備課で元課長が偽造領収書を会計検査院に提出したとして、有印私文書偽造・同行使と偽計業務妨害容疑で書類送検された。
2007年8月、98年から99年にかけて本部刑事部捜査第二課での捜査費、捜査報償費の不正使用に関して警察庁は当時の課長だった警視正を長官訓戒処分とした。
』
● 北海道警察日本で一番悪い奴ら 織川 隆著:講談社
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2011年6月27日月曜日
東日本大地震後に変化した日本社会
_
● 東日本大地震
『
2011年06月27日15時22分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/219/141219.html?servcode=A00§code=A00
東日本大地震後に変化した日本社会…まるで敗戦直後のよう
3月11日午後2時46分に東日本大地震が発生してから100日と1週間が過ぎた。
福島第1原発はまだ収拾の糸口を見いだせない‘進行形’だ。
しかし日本人の意識・行動にはすでに大きな変化が表れている。
大地震が社会統合の触媒剤として作用しているのだ。
一部では
「明治維新後や第2次世界大戦敗戦直後に表れた変化の幅と似ている」
という分析もある。
経済界の動きはもっと大きい。 生存のために世界最高の製造工場というプライドを捨てて、海外、特に韓国との協力を強く追求している。
これに関しソウルジャパンクラブの粟谷勉三菱コリア社長(59)は中央日報とのインタビューで、韓国との部品協力に対する強い希望を表した。
社会の変化は「3S」に要約される。
まずは「誠実(seriousness)」を尊重する若者の登場だ。
名づけて「3・11世代」。
先月、東京経済大学は新入生にアンケート調査を行った。
「価値観と生活が変わった」
という回答が70.1%にのぼった。
同大学の関沢英彦教授は
「先日、学生にアニメーションの方向について尋ねたところ、驚くことに予想もできなかった回答があった」
と述べた。
「これまでアニメーションは平穏な日常を嫌悪し、極限に逃避する傾向が強かったが、今後はこうした傾向が減っていくだろう。
現実世界でこうした悲惨さを体験したからだ。
今後は建設的な人間像と希望を描写することになるだろう」。
日常に忠実で些細なことも大切に考える「誠実さ」が広まっている。
2つ目のキーワードは「分け合い(share)」または「共同社会への寄与」。
その間、日本の若者の思考は「個人主義」と「孤立化」だった。
1980-90年代初めの経済成長の果実を手にし、負の遺産ばかり残した「団塊世代」に対する反発だった。
社会との間に壁を作っていた。
これが変わった。
宮城・岩手県など災害地域にはボランティアの若者が集まった。
ボランティアの申請が殺到した。
東京工業大学の上田紀行教授(文化人類学)は
「3・11世代の規範は‘社会に恥ずかしくない共存の生活’に変わっている」
と述べた。
3つ目は「ソーシャルメディア(social media)」の全面登場だ。
今回の災害でフェイスブックやツイッターなどソーシャルメディアが威力を発揮した。
有・無線電話がつながらなかった当時、唯一の希望は「カカオトーク」と「ツイッター」だった。
ソーシャルメディアは情報収集や緊急連絡だけでなく、知人・家族間の絆を強める役割も果たした。
「3・11世代」と3Sの登場がすべてではない。
新しい現象が続々と登場している。
「地震で真っ先に電話をくれた彼氏に数日前プロポーズをした。
必要な時にそばにいてくれることを改めて感じた」(24際の女性)、
「平凡な人でも早く再婚したい。
私と私の娘さえ守ってくれるなら…」(静岡県、38歳の女性)。
日本の結婚相談サイトに書き込まれたコメントだ。
大地震をきっかけに結婚を希望する女性が大きく増えた。
結婚相談所「ノッツェ」に登録した会員は30%増え、「オーネット」では3-4月に結婚した会員が前年同期比で40%増えた。
消費不振の中、東京の高島屋では指輪の売上高が40%も増えた。
中央大学の山内昌博教授(家族社会学)は
「経済的能力、学歴ではなく、必要な時にそばにいて頼れる配偶者を探す傾向が強まっている」
と説明した。
インターネットコミュニティーサイト「デジタルブティック」によると、夫婦喧嘩が減り、話したこともなかった近所の住民とあいさつや言葉を交わすことが多くなったという。
たんすに現金を隠して財布を開かなかった日本人の金銭感覚も変わっている。
広告代行会社の電通が21日、全国1200人の会社員に
「夏のボーナスをどこに使うか」
と尋ねたところ、
1位は「旅行」、3位は「豪華な外食」を選んだ。
「貯蓄」「デジタルテレビ」が多かった例年とは違った。
使うときは使い、必要ならお金を惜しまないという意識の変化だ。
日本外食産業協会によると、大地震後、家族単位の外食の回数と単価がともに30%増えた。
意識も前向きに変わっている。
ソニーのある幹部は
「普段マンネリズムに陥っていた部下の職員が‘こういう時こそ自分が何かをしなければいけない’という気持ちを表すケースが増えた」
と話した。
立教大学の教授で精神科医師の香山リカ氏はこれを
「自己責任の再認識」
と見ている。
信じていた政府が責任ある行動を取れないのを見た一般国民が
「信じるのは自分」
と自覚し、これが受動的・否定的な姿勢から前向き・肯定的な姿勢に変えたということだ。
』
『
2011年06月27日16時40分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/224/141224.html?servcode=A00§code=A10
「韓日が力を合わせて世界と競争する協力構図を作ろう」
経済領域で「産業の海外移転」が本格化する様相だ。
東日本大地震が日本経済に及ぼした被害は25兆円。
1-3月期の成長率はマイナス3.5%で、2期連続のマイナス成長となった。
最も大きな原因は部品供給網(サプライチェーン)の断絶だ。
東北地方で生産していた自動車・電子部品の供給が一部中断した。
3月だけで自動車生産が52万台減り、4-6月期にも100万台の生産に支障が生じた。
原発中断による電力不足も足かせとなる。
これを受け、日本企業は設備の一部を海外に移転し、素材・部品の海外供給網を確保するなどの対策を準備している。
日本企業は特に危機克服の代案として韓国との協力強化を積極的に検討し始めた。
韓国輸出入銀行と日本国際協力銀行(JBIC)は24日、ソウル新羅(シンラ)ホテルで、「両国企業の第3国共同進出支援のための金融協力強化案」をテーマに共同セミナーを開いた。
この席で会った粟谷勉三菱コリア社長(59)は
「今回の地震は日本企業がグローバル化するきっかけになるだろう」
とし
「今後、韓国と日本が力を合わせて世界と競争する協力構図を築いていけることを希望する」
と述べた。
粟谷社長は韓国に進出した300社余りの日本企業を代表するソウルジャパンクラブの理事長も務めている。
粟谷社長は
「大地震は部品の在庫を残さないジャストインタイム(JIT)方式の供給網を崩壊させた。
多元化が急がれる。
日本企業が韓国に投資し、韓国企業が作った部品を日本に入れる必要がある」
と述べた。
JITはトヨタ自動車が初めて導入して脚光を浴びた生産方式。
しかし神戸大地震に続き今回の東日本大地震のように自然災害が突然発生した場合には脆弱であることが確認された。
粟谷社長は
「供給網を日本・韓国に二元化すれば、地震のような突発事態にははるかにうまく対処できるだろう」
と話した。
日本経済産業省によると、日本製造企業の海外生産費率は09年末現在17.2%。
粟谷社長は
「これまで日本企業は日本製の部品を好んだが、韓国製の品質が上がった。
品質はほとんど似ていて一部は韓国産のほうが良い場合もある。
品質はもう問題にならない。
実際、地震以降、韓国で作られた部品を使用して赤字が減ったケースもある。
韓国産部品も問題ないというのが日本企業の一般的な評価だ」
と説明した。
--日本は今まで台湾を主要部品供給パートナーとしてきた。
突然、韓国を代案にした理由は。
「日本は韓国よりも台湾を好むが、特別な理由があるわけではない。
一般的に言えば、コスト削減に追い込まれている日本企業が台湾を好んだようだ。
しかし台湾は中国との連帯がますます強まっている。
半面、韓国と日本は同じ価値観を共有している。
輸出で成り立つ経済構造や社会構造が似ている。
急速に高齢化社会に入る人口構造の問題も共有する。
長期的には韓国と日本が団結するべきだと考える」
--日本メディアはそのように見ていないようだ。
「韓国メディアは日本の地震による空白を韓国企業が攻撃的に食い込んでいないという。
一方、日本メディアは韓国企業が攻撃的に進出していると心配している。
お互い‘ウィンウィン’できる案が必要だ。
地震をきっかけに韓日両国が同一市場と考えながら協力していくことが必要だ。
過去には韓国が日本から部品を輸入して赤字を出した。
ところが地震後は韓国が輸出すると日本メディアが警戒している。
これは誤りだ。
韓国と日本はもっと大きな視野を持つ必要がある。
東京と大阪がお互い輸出入して赤字が出たとかは言わない。
韓国と日本も‘一つの経済圏(one economic zone)’を作らなければいけない。
韓国・日本が競争するのではなく、世界と戦って勝つためにそうするべきだ。
第三国で韓日両国が力を合わせてビジネスを始めることが重要だ」
--韓国が日本と手を組めば具体的にどんな利益が得られるのか。
「海外市場に進出する時に大きな力になるだろう。
日本の豊かな資金は十分な金融背景を提供できる。
統合された韓日市場は両国企業の内需確保に役立つ。
年間300億ドルの対日貿易赤字も減らせる。
三星(サムスン)とソニーを見れば、友好的かつ健全に競争する一方で部品で協力している。
日本はエネルギーが必要で、韓国も同じだ。
両国は新しいエネルギー協力もするべきだと考える。
実際、三菱商事は韓国ガス公社(KOGAS)と提携してインドネシア天然ガス(LNG)開発に取り組んでいる。
28億ドルを投資し、2014年から年間200万トンのLNGを生産することになる。
三菱と現代(ヒョンデ)ロテムはインドのバンガロールとニューデリーに地下鉄600両を製造して輸出している」
--資源開発などの場合、韓国では政府が主導している。
企業よりもまずは韓日政府間の協力関係が必要になるのでは。
「中国の場合、 資源・エネルギー・鉱物の開発を政府が主導している。
この分野は民間企業だけではできない。
民間は民間で、政府は政府で協力する事業が多い。
長期的に韓国と日本は統合された経済ブロックを形成しなければならない。
自由貿易協定(FTA)などを締結すればよいだろう。
まずは両国が輸出信用機関(ECA)間の協力を強化することが重要だ。
両国政府が共同で輸出信用を提供すれば、企業が安心して資源開発や投資ができるだろう」
--日本に対する韓国の国民感情がよくないが、こうした感情が妨げになるのでは。
「両国間に不幸な過去があったのは事実だ。
しかし次第に良くなると信じている。
韓国の若い世代は未来を見て、海外を見ていると信じている。
日本の若者も同じだ」
粟谷勉社長とのインタビューは宇山智哉日本大使館経済部長・公使の支援で実現した。
粟谷社長は
「韓国と日本が協力するべきだが、両国政府がこれを政策的な次元で考えていないのが問題だ」
と語った。
』
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_
● 東日本大地震
『
2011年06月27日15時22分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/219/141219.html?servcode=A00§code=A00
東日本大地震後に変化した日本社会…まるで敗戦直後のよう
3月11日午後2時46分に東日本大地震が発生してから100日と1週間が過ぎた。
福島第1原発はまだ収拾の糸口を見いだせない‘進行形’だ。
しかし日本人の意識・行動にはすでに大きな変化が表れている。
大地震が社会統合の触媒剤として作用しているのだ。
一部では
「明治維新後や第2次世界大戦敗戦直後に表れた変化の幅と似ている」
という分析もある。
経済界の動きはもっと大きい。 生存のために世界最高の製造工場というプライドを捨てて、海外、特に韓国との協力を強く追求している。
これに関しソウルジャパンクラブの粟谷勉三菱コリア社長(59)は中央日報とのインタビューで、韓国との部品協力に対する強い希望を表した。
社会の変化は「3S」に要約される。
まずは「誠実(seriousness)」を尊重する若者の登場だ。
名づけて「3・11世代」。
先月、東京経済大学は新入生にアンケート調査を行った。
「価値観と生活が変わった」
という回答が70.1%にのぼった。
同大学の関沢英彦教授は
「先日、学生にアニメーションの方向について尋ねたところ、驚くことに予想もできなかった回答があった」
と述べた。
「これまでアニメーションは平穏な日常を嫌悪し、極限に逃避する傾向が強かったが、今後はこうした傾向が減っていくだろう。
現実世界でこうした悲惨さを体験したからだ。
今後は建設的な人間像と希望を描写することになるだろう」。
日常に忠実で些細なことも大切に考える「誠実さ」が広まっている。
2つ目のキーワードは「分け合い(share)」または「共同社会への寄与」。
その間、日本の若者の思考は「個人主義」と「孤立化」だった。
1980-90年代初めの経済成長の果実を手にし、負の遺産ばかり残した「団塊世代」に対する反発だった。
社会との間に壁を作っていた。
これが変わった。
宮城・岩手県など災害地域にはボランティアの若者が集まった。
ボランティアの申請が殺到した。
東京工業大学の上田紀行教授(文化人類学)は
「3・11世代の規範は‘社会に恥ずかしくない共存の生活’に変わっている」
と述べた。
3つ目は「ソーシャルメディア(social media)」の全面登場だ。
今回の災害でフェイスブックやツイッターなどソーシャルメディアが威力を発揮した。
有・無線電話がつながらなかった当時、唯一の希望は「カカオトーク」と「ツイッター」だった。
ソーシャルメディアは情報収集や緊急連絡だけでなく、知人・家族間の絆を強める役割も果たした。
「3・11世代」と3Sの登場がすべてではない。
新しい現象が続々と登場している。
「地震で真っ先に電話をくれた彼氏に数日前プロポーズをした。
必要な時にそばにいてくれることを改めて感じた」(24際の女性)、
「平凡な人でも早く再婚したい。
私と私の娘さえ守ってくれるなら…」(静岡県、38歳の女性)。
日本の結婚相談サイトに書き込まれたコメントだ。
大地震をきっかけに結婚を希望する女性が大きく増えた。
結婚相談所「ノッツェ」に登録した会員は30%増え、「オーネット」では3-4月に結婚した会員が前年同期比で40%増えた。
消費不振の中、東京の高島屋では指輪の売上高が40%も増えた。
中央大学の山内昌博教授(家族社会学)は
「経済的能力、学歴ではなく、必要な時にそばにいて頼れる配偶者を探す傾向が強まっている」
と説明した。
インターネットコミュニティーサイト「デジタルブティック」によると、夫婦喧嘩が減り、話したこともなかった近所の住民とあいさつや言葉を交わすことが多くなったという。
たんすに現金を隠して財布を開かなかった日本人の金銭感覚も変わっている。
広告代行会社の電通が21日、全国1200人の会社員に
「夏のボーナスをどこに使うか」
と尋ねたところ、
1位は「旅行」、3位は「豪華な外食」を選んだ。
「貯蓄」「デジタルテレビ」が多かった例年とは違った。
使うときは使い、必要ならお金を惜しまないという意識の変化だ。
日本外食産業協会によると、大地震後、家族単位の外食の回数と単価がともに30%増えた。
意識も前向きに変わっている。
ソニーのある幹部は
「普段マンネリズムに陥っていた部下の職員が‘こういう時こそ自分が何かをしなければいけない’という気持ちを表すケースが増えた」
と話した。
立教大学の教授で精神科医師の香山リカ氏はこれを
「自己責任の再認識」
と見ている。
信じていた政府が責任ある行動を取れないのを見た一般国民が
「信じるのは自分」
と自覚し、これが受動的・否定的な姿勢から前向き・肯定的な姿勢に変えたということだ。
』
『
2011年06月27日16時40分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/224/141224.html?servcode=A00§code=A10
「韓日が力を合わせて世界と競争する協力構図を作ろう」
経済領域で「産業の海外移転」が本格化する様相だ。
東日本大地震が日本経済に及ぼした被害は25兆円。
1-3月期の成長率はマイナス3.5%で、2期連続のマイナス成長となった。
最も大きな原因は部品供給網(サプライチェーン)の断絶だ。
東北地方で生産していた自動車・電子部品の供給が一部中断した。
3月だけで自動車生産が52万台減り、4-6月期にも100万台の生産に支障が生じた。
原発中断による電力不足も足かせとなる。
これを受け、日本企業は設備の一部を海外に移転し、素材・部品の海外供給網を確保するなどの対策を準備している。
日本企業は特に危機克服の代案として韓国との協力強化を積極的に検討し始めた。
韓国輸出入銀行と日本国際協力銀行(JBIC)は24日、ソウル新羅(シンラ)ホテルで、「両国企業の第3国共同進出支援のための金融協力強化案」をテーマに共同セミナーを開いた。
この席で会った粟谷勉三菱コリア社長(59)は
「今回の地震は日本企業がグローバル化するきっかけになるだろう」
とし
「今後、韓国と日本が力を合わせて世界と競争する協力構図を築いていけることを希望する」
と述べた。
粟谷社長は韓国に進出した300社余りの日本企業を代表するソウルジャパンクラブの理事長も務めている。
粟谷社長は
「大地震は部品の在庫を残さないジャストインタイム(JIT)方式の供給網を崩壊させた。
多元化が急がれる。
日本企業が韓国に投資し、韓国企業が作った部品を日本に入れる必要がある」
と述べた。
JITはトヨタ自動車が初めて導入して脚光を浴びた生産方式。
しかし神戸大地震に続き今回の東日本大地震のように自然災害が突然発生した場合には脆弱であることが確認された。
粟谷社長は
「供給網を日本・韓国に二元化すれば、地震のような突発事態にははるかにうまく対処できるだろう」
と話した。
日本経済産業省によると、日本製造企業の海外生産費率は09年末現在17.2%。
粟谷社長は
「これまで日本企業は日本製の部品を好んだが、韓国製の品質が上がった。
品質はほとんど似ていて一部は韓国産のほうが良い場合もある。
品質はもう問題にならない。
実際、地震以降、韓国で作られた部品を使用して赤字が減ったケースもある。
韓国産部品も問題ないというのが日本企業の一般的な評価だ」
と説明した。
--日本は今まで台湾を主要部品供給パートナーとしてきた。
突然、韓国を代案にした理由は。
「日本は韓国よりも台湾を好むが、特別な理由があるわけではない。
一般的に言えば、コスト削減に追い込まれている日本企業が台湾を好んだようだ。
しかし台湾は中国との連帯がますます強まっている。
半面、韓国と日本は同じ価値観を共有している。
輸出で成り立つ経済構造や社会構造が似ている。
急速に高齢化社会に入る人口構造の問題も共有する。
長期的には韓国と日本が団結するべきだと考える」
--日本メディアはそのように見ていないようだ。
「韓国メディアは日本の地震による空白を韓国企業が攻撃的に食い込んでいないという。
一方、日本メディアは韓国企業が攻撃的に進出していると心配している。
お互い‘ウィンウィン’できる案が必要だ。
地震をきっかけに韓日両国が同一市場と考えながら協力していくことが必要だ。
過去には韓国が日本から部品を輸入して赤字を出した。
ところが地震後は韓国が輸出すると日本メディアが警戒している。
これは誤りだ。
韓国と日本はもっと大きな視野を持つ必要がある。
東京と大阪がお互い輸出入して赤字が出たとかは言わない。
韓国と日本も‘一つの経済圏(one economic zone)’を作らなければいけない。
韓国・日本が競争するのではなく、世界と戦って勝つためにそうするべきだ。
第三国で韓日両国が力を合わせてビジネスを始めることが重要だ」
--韓国が日本と手を組めば具体的にどんな利益が得られるのか。
「海外市場に進出する時に大きな力になるだろう。
日本の豊かな資金は十分な金融背景を提供できる。
統合された韓日市場は両国企業の内需確保に役立つ。
年間300億ドルの対日貿易赤字も減らせる。
三星(サムスン)とソニーを見れば、友好的かつ健全に競争する一方で部品で協力している。
日本はエネルギーが必要で、韓国も同じだ。
両国は新しいエネルギー協力もするべきだと考える。
実際、三菱商事は韓国ガス公社(KOGAS)と提携してインドネシア天然ガス(LNG)開発に取り組んでいる。
28億ドルを投資し、2014年から年間200万トンのLNGを生産することになる。
三菱と現代(ヒョンデ)ロテムはインドのバンガロールとニューデリーに地下鉄600両を製造して輸出している」
--資源開発などの場合、韓国では政府が主導している。
企業よりもまずは韓日政府間の協力関係が必要になるのでは。
「中国の場合、 資源・エネルギー・鉱物の開発を政府が主導している。
この分野は民間企業だけではできない。
民間は民間で、政府は政府で協力する事業が多い。
長期的に韓国と日本は統合された経済ブロックを形成しなければならない。
自由貿易協定(FTA)などを締結すればよいだろう。
まずは両国が輸出信用機関(ECA)間の協力を強化することが重要だ。
両国政府が共同で輸出信用を提供すれば、企業が安心して資源開発や投資ができるだろう」
--日本に対する韓国の国民感情がよくないが、こうした感情が妨げになるのでは。
「両国間に不幸な過去があったのは事実だ。
しかし次第に良くなると信じている。
韓国の若い世代は未来を見て、海外を見ていると信じている。
日本の若者も同じだ」
粟谷勉社長とのインタビューは宇山智哉日本大使館経済部長・公使の支援で実現した。
粟谷社長は
「韓国と日本が協力するべきだが、両国政府がこれを政策的な次元で考えていないのが問題だ」
と語った。
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2011年6月26日日曜日
「ここはどこ、わたしはペンギン」
_
● コウテイペンギンはペンギンの中でも最大種であり、最も南に分布します。
南極大陸の周辺に群れをなして生活しているのですが、1羽だけ道を間違ったのか、なんとニュージーランドに現れたそうです。
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『
らばQ 2011年06月24日 10:52
http://labaq.com/archives/51676399.html
うっかりしてた!
南極のペンギンが間違ってニュージーランドにたどりつく
南極大陸の周辺に群れをなして生活しているのですが、1羽だけ道を間違ったのか、なんとニュージーランドに現れたそうです。
ニュージーランドのビーチに犬の散歩に来ていたクリスティ・ウィルトンさんは、まぶしく光る白いもの見つけました。
よくよく見てみると、ぽつんと1羽だけで立ち尽くしているコウテイペンギンだったのです。
ニュージーランド自然保護省の報道官は、最初にコウテイペンギンが現れたという話を聞いた時は信じられず、アシカなど別の動物だと疑ったそうです。
しかし現場に到着すると、紛れもなくコウテイペンギンだったそうで驚いたと言います。
以前にコウテイペンギンがニュージーランドで確認されたのは44年も前だと言い、非常に珍しいケースであるそうです。
コウテイペンギンは成長すると身長122cm、体重34kgまで育ちますが、この迷子ペンギンはまだ80cm程度で、生後10ヶ月くらいとみられています。
ペンギンの専門家によると、イカなどのえさを追いかけているうちにターニングポイントを見誤り、仲間とはぐれて北へ北へと進んできたのではないかとのことです。
道を迷って現れたと簡単に言うには、すごい努力のいる距離を泳いできた気がします。
』
『
CNNニュース 2011.06.26 Sun posted at: 14:27 JST
http://www.cnn.co.jp/fringe/30003188.html
NZに南極ペンギンが漂着、44年ぶり 生存危うく
(CNN) ニュージーランド南島の海岸に先週、南極に生息するコウテイペンギン1羽が漂着する珍事があった。
獣医が地元テレビに明らかにした。
同国内で野生のコウテイペンギンが発見されたのは過去44年間で初めて。
体重約27.2キロのペンギンで、地元メディアは「ハッピー・フィート」の愛称を付けている。
ただ、海岸の砂や棒きれなどをエサにしていることもあり、病気で重体状態に陥って生き残れる確率は50%だという。
首都ウェリントンの動物園に運ばれたが、2度の手術を受けている。
ニュージーランド通信によると、クライストチャーチにある国際南極センターのペンギン飼育者は、体が弱っていることから南極から約3200キロの距離を泳いできたとみている。
生存の可能性については楽観的になれないとも述べた。
ニュージーランド国立博物館の陸生脊椎(せきつい)動物園長は、このペンギンが砂などを口にしていることについて、体温を低下させるため雪や氷を摂取するペンギンの習性の表れと指摘している。
地元紙ニュージーランド・ヘラルドによると、動物保護当局者らはウェリントンの動物園で「ハッピー・フィート」を他のペンギンと一緒にすることや、南極に戻すのも病気のまん延につながる恐れがあるとして反対しているという。
』
『
AFPBB News 2011年06月27日 18:02 発信地:ウェリントン/ニュージーランド
体調を崩した迷子のコウテイペンギンを救え!一流医師が手術 NZ
【6月27日 AFP】
生息地の南極から3000キロ離れたニュージーランドの首都ウェリントン(Wellington)に近い浜辺で発見されたが、その後体調を崩していたコウテイペンギンの「ハッピーフィート(Happy Feet)」を救うため、同国トップクラスの医師が招集され、27日にウェリントン動物園(Wellington Zoo)で手術を行った。
手術を行ったのは、普段は人間を治療しているジョン・ワイエス(John Wyeth)医師。
ニュージーランド消化器病学会(New Zealand Society of Gastroenterology)元会長で、ウェリントン病院(Wellington Hospital)消化器科の責任者だ。
ワイエス医師はハッピーフィートののどから入れた内視鏡で、消化器に入っていた小枝や石、砂などを取り除いた。
医療スタッフ6人がワイエス医師を支援した。
手術は2時間に及んだ。
ワイエス医師は「記憶に残る経験だったよ」と語った。
「(ペンギンの)体の構造に詳しくなかったものだからね。同じ治療を人間に行うのであれば10分で終わるよ」
■ハッピーフィートはいつ南極に帰れるのか?
ニュージーランドでコウテイペンギンが確認されたのは史上2羽目。
「ハッピーフィート」というのは、発見場所の地元住民たちがつけたニックネームだ。
若いオスとみられている。
南極のコウテイペンギンは暑いときに雪を食べるが、ハッピーフィートは暑さに耐えかねて浜辺の砂を食べて体調を崩し、24日にウェリントン動物園に搬送されていた。
同動物園の獣医長、リサ・アルジラ(Lisa Argilla)氏によると、ハッピーフィートは術後の経過は良好だが「予断を許さない状況」だという。
コウテイペンギンは本来、氷点下の天候で暮らしているため、アルジラ氏たちは砕いた氷を敷き詰めた、空調の効いた屋内でハッピーフィートを保護している。
最も良い選択肢は、ハッピーフィートが健康を回復したら亜南極の海域に返し、自力で泳いで南極に帰ることを祈ることだとアルジラ氏は語る。
しかし、ハッピーフィートは南極からニュージーランドまでという長距離を泳いだことや、消化器に傷を負ったために体重が減っており、野生に戻す準備がまだできていない。
「いつまでかかるかというのを述べるのは難しいが、おそらく1~2か月程度だろう」
と、アルジラ氏は記者団に語った。(c)AFP/Neil Sands
』
『
AFPBB News 2011年06月30日 07:13 発信地:ウェリントン/ニュージーランド
迷子のコウテイペンギン、故郷へ泳いで帰ることに NZ
【6月30日 AFP】
生息地の南極から3000キロ離れたニュージーランドの浜辺で発見され、その後体調を崩していたコウテイペンギンの「ハッピーフィート(Happy Feet)」について、同国の専門家らは29日、南極に泳いで帰れるまでに体調が戻ったら海に戻す方針を固めた。
若いオスとみられるこのペンギンは20日、同国北島のウェリントン(Wellington)近辺の浜辺で発見された。
しかし、暑さに耐えかねて浜辺の砂や小枝を食べ、体調を崩してしまったため、ウェリントン動物園(Wellington Zoo)に搬送されていた。
その後、普段は人間を治療しているトップレベルの外科医も参加した3回の手術を経て、容体が安定してきたという。
ウェリントン動物園、ニュージーランド自然保護省(DoC)、マッセイ大学(Massey University)、そしてテパパ・トンガレワ(Te Papa Tongarewa)国立博物館の専門家らは29日、ハッピーフィートの今後を話し合うためにウェリントンに集結。
そしてコウテイペンギンの生息域の北限に位置する、ニュージーランド南東の南洋に放す方針を固めた。
DoCの報道官によると、動物園で飼育することや南極まで連れて行くことも検討されたが、コウテイペンギンを飼育するのにふさわしい施設はなく、また、現時点では氷上や海で過ごしているはずのコウテイペンギンを南極大陸に直接戻すことはふさわしくないと判断したという。
しかし、ハッピーフィートが帰国の途につくのはかなり先になりそうだ。
動物園の専門家は、ニュージーランドまでの長旅や砂を食べて内臓を傷つけたことでハッピーフィートの体重は激減しており、健康体に戻るまでには数か月かかるとみている。(c)AFP
』
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● コウテイペンギンはペンギンの中でも最大種であり、最も南に分布します。
南極大陸の周辺に群れをなして生活しているのですが、1羽だけ道を間違ったのか、なんとニュージーランドに現れたそうです。
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らばQ 2011年06月24日 10:52
http://labaq.com/archives/51676399.html
うっかりしてた!
南極のペンギンが間違ってニュージーランドにたどりつく
南極大陸の周辺に群れをなして生活しているのですが、1羽だけ道を間違ったのか、なんとニュージーランドに現れたそうです。
ニュージーランドのビーチに犬の散歩に来ていたクリスティ・ウィルトンさんは、まぶしく光る白いもの見つけました。
よくよく見てみると、ぽつんと1羽だけで立ち尽くしているコウテイペンギンだったのです。
ニュージーランド自然保護省の報道官は、最初にコウテイペンギンが現れたという話を聞いた時は信じられず、アシカなど別の動物だと疑ったそうです。
しかし現場に到着すると、紛れもなくコウテイペンギンだったそうで驚いたと言います。
以前にコウテイペンギンがニュージーランドで確認されたのは44年も前だと言い、非常に珍しいケースであるそうです。
コウテイペンギンは成長すると身長122cm、体重34kgまで育ちますが、この迷子ペンギンはまだ80cm程度で、生後10ヶ月くらいとみられています。
ペンギンの専門家によると、イカなどのえさを追いかけているうちにターニングポイントを見誤り、仲間とはぐれて北へ北へと進んできたのではないかとのことです。
道を迷って現れたと簡単に言うには、すごい努力のいる距離を泳いできた気がします。
』
『
CNNニュース 2011.06.26 Sun posted at: 14:27 JST
http://www.cnn.co.jp/fringe/30003188.html
NZに南極ペンギンが漂着、44年ぶり 生存危うく
(CNN) ニュージーランド南島の海岸に先週、南極に生息するコウテイペンギン1羽が漂着する珍事があった。
獣医が地元テレビに明らかにした。
同国内で野生のコウテイペンギンが発見されたのは過去44年間で初めて。
体重約27.2キロのペンギンで、地元メディアは「ハッピー・フィート」の愛称を付けている。
ただ、海岸の砂や棒きれなどをエサにしていることもあり、病気で重体状態に陥って生き残れる確率は50%だという。
首都ウェリントンの動物園に運ばれたが、2度の手術を受けている。
ニュージーランド通信によると、クライストチャーチにある国際南極センターのペンギン飼育者は、体が弱っていることから南極から約3200キロの距離を泳いできたとみている。
生存の可能性については楽観的になれないとも述べた。
ニュージーランド国立博物館の陸生脊椎(せきつい)動物園長は、このペンギンが砂などを口にしていることについて、体温を低下させるため雪や氷を摂取するペンギンの習性の表れと指摘している。
地元紙ニュージーランド・ヘラルドによると、動物保護当局者らはウェリントンの動物園で「ハッピー・フィート」を他のペンギンと一緒にすることや、南極に戻すのも病気のまん延につながる恐れがあるとして反対しているという。
』
『
AFPBB News 2011年06月27日 18:02 発信地:ウェリントン/ニュージーランド
体調を崩した迷子のコウテイペンギンを救え!一流医師が手術 NZ
【6月27日 AFP】
生息地の南極から3000キロ離れたニュージーランドの首都ウェリントン(Wellington)に近い浜辺で発見されたが、その後体調を崩していたコウテイペンギンの「ハッピーフィート(Happy Feet)」を救うため、同国トップクラスの医師が招集され、27日にウェリントン動物園(Wellington Zoo)で手術を行った。
手術を行ったのは、普段は人間を治療しているジョン・ワイエス(John Wyeth)医師。
ニュージーランド消化器病学会(New Zealand Society of Gastroenterology)元会長で、ウェリントン病院(Wellington Hospital)消化器科の責任者だ。
ワイエス医師はハッピーフィートののどから入れた内視鏡で、消化器に入っていた小枝や石、砂などを取り除いた。
医療スタッフ6人がワイエス医師を支援した。
手術は2時間に及んだ。
ワイエス医師は「記憶に残る経験だったよ」と語った。
「(ペンギンの)体の構造に詳しくなかったものだからね。同じ治療を人間に行うのであれば10分で終わるよ」
■ハッピーフィートはいつ南極に帰れるのか?
ニュージーランドでコウテイペンギンが確認されたのは史上2羽目。
「ハッピーフィート」というのは、発見場所の地元住民たちがつけたニックネームだ。
若いオスとみられている。
南極のコウテイペンギンは暑いときに雪を食べるが、ハッピーフィートは暑さに耐えかねて浜辺の砂を食べて体調を崩し、24日にウェリントン動物園に搬送されていた。
同動物園の獣医長、リサ・アルジラ(Lisa Argilla)氏によると、ハッピーフィートは術後の経過は良好だが「予断を許さない状況」だという。
コウテイペンギンは本来、氷点下の天候で暮らしているため、アルジラ氏たちは砕いた氷を敷き詰めた、空調の効いた屋内でハッピーフィートを保護している。
最も良い選択肢は、ハッピーフィートが健康を回復したら亜南極の海域に返し、自力で泳いで南極に帰ることを祈ることだとアルジラ氏は語る。
しかし、ハッピーフィートは南極からニュージーランドまでという長距離を泳いだことや、消化器に傷を負ったために体重が減っており、野生に戻す準備がまだできていない。
「いつまでかかるかというのを述べるのは難しいが、おそらく1~2か月程度だろう」
と、アルジラ氏は記者団に語った。(c)AFP/Neil Sands
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『
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迷子のコウテイペンギン、故郷へ泳いで帰ることに NZ
【6月30日 AFP】
生息地の南極から3000キロ離れたニュージーランドの浜辺で発見され、その後体調を崩していたコウテイペンギンの「ハッピーフィート(Happy Feet)」について、同国の専門家らは29日、南極に泳いで帰れるまでに体調が戻ったら海に戻す方針を固めた。
若いオスとみられるこのペンギンは20日、同国北島のウェリントン(Wellington)近辺の浜辺で発見された。
しかし、暑さに耐えかねて浜辺の砂や小枝を食べ、体調を崩してしまったため、ウェリントン動物園(Wellington Zoo)に搬送されていた。
その後、普段は人間を治療しているトップレベルの外科医も参加した3回の手術を経て、容体が安定してきたという。
ウェリントン動物園、ニュージーランド自然保護省(DoC)、マッセイ大学(Massey University)、そしてテパパ・トンガレワ(Te Papa Tongarewa)国立博物館の専門家らは29日、ハッピーフィートの今後を話し合うためにウェリントンに集結。
そしてコウテイペンギンの生息域の北限に位置する、ニュージーランド南東の南洋に放す方針を固めた。
DoCの報道官によると、動物園で飼育することや南極まで連れて行くことも検討されたが、コウテイペンギンを飼育するのにふさわしい施設はなく、また、現時点では氷上や海で過ごしているはずのコウテイペンギンを南極大陸に直接戻すことはふさわしくないと判断したという。
しかし、ハッピーフィートが帰国の途につくのはかなり先になりそうだ。
動物園の専門家は、ニュージーランドまでの長旅や砂を食べて内臓を傷つけたことでハッピーフィートの体重は激減しており、健康体に戻るまでには数か月かかるとみている。(c)AFP
』
◇ ヒマつぶし検索
_
「自衛隊はスーパーマンじゃない」
_
● ヒゲの隊長・佐藤正久
『
日刊サイゾー 2011年06月26日08時20分
http://news.livedoor.com/article/detail/5662648/?p=1
【ヒゲの隊長・佐藤正久議員が語る】
「自衛隊はスーパーマンじゃない」
被災地で活躍する自衛隊員の知られざる苦労
「自衛隊ってすごい!」――。
今回の大震災であらためて自衛隊の活動に舌を巻いた人は多いことだろう。
被災地で活躍するその勇敢な姿は、被災者のみならず、日本中の希望として各メディアにこぞって報道された。
しかし、震災現場で自衛隊が具体的にどのような活動を行う集団なのかということはこれまであまり知られてこなかった。
はたして、震災現場や社会における自衛隊の役割とはどのようなものなのだろうか。
過日、
『ありがとう自衛隊 ~ヒゲの隊長が綴る日本再興奮闘記~』(ワニブックスPLUS新書)
を出版したばかりの元・自衛官、イラク派遣隊長を務めた際は「ヒゲの隊長」のあだ名で親しまれた参議院議員・佐藤正久氏に、知られざる自衛隊の現場について話を聞いた。
――今回の震災における自衛隊の活動で、佐藤議員が一番印象に残っているものはどのようなものですか?
「行方不明者の捜索ですね。
この任務は、生存率が大きく下がる最初の72時間が勝負と言われます。
震災発生当初はガソリンも供給できず、水や食料も届かないという状況の中で自衛隊が活躍をしました。
自衛隊は自己完結性を持った組織のため、食事も風呂もガソリンもすべて自ら賄うことができ、備蓄もある。
ただ、今回の震災では被災地域が広範囲に渡り、当初は自衛隊でも物資が足りませんでした。
ご遺体を発見してもそれを運ぶ担架すら不足しており、ご遺体を背中に背負って運んだり、ゴム長などもないので、カッパを上から着ただけの状態で海水の中に入っていったりしていました。
瓦礫で傷んでしまったご遺体の中には手足がなかったり顔がつぶれていたり、とくに津波では服が脱げてしまうため、裸のご遺体もたくさんありました。
そのため、泥だらけになったご遺体を洗ったりすることもあったんです。
とても厳しい状況でしたが、そういったご遺体の回収作業ができるのは自衛隊しかいないわけですから、やるしかないんです」
――自衛隊の災害派遣部隊の活動というのは、まず行方不明者の捜索から始まるんですか?
「はい。
最初は人命救助、捜索ですね。
その際、ご遺体も見つかるわけですから、一番優先順位が高い。
同時に後方部隊は食事や水の支援を行います。
今回は東北地方に住んでいる500人以上の隊員に出動命令が出ましたが、自分の家族と連絡も取れないまま現地へ向かい、行方不明者の捜索、あるいは孤立者の救出といった任務にあたった隊員も数多くいました。
実際に家族が亡くなったり、家が流された隊員もいます。
でも、自衛隊員は自分の身内よりも一人でも多くの被災者を救い出し、少しでも早くご遺体を家族の元に戻す、という使命感を持っているんです」
――自衛隊では行方不明者の捜索や瓦礫撤去など、災害派遣のための特殊な訓練もされているのでしょうか?
「あくまで国防のための訓練であり、災害用の特別な訓練をしているわけではありません。
訓練には精神面、肉体面、スキル面の3つがあります。
まず、精神面は日ごろから鍛えておかないと、いざ任務にあたる時に心が折れてしまいますよね。
今回、若い隊員の中にはご遺体を見たことがなかった者も多く、本当につらい状況だったと思います。
さらに雪や雨が降る中、かん水しているところに入り捜索活動を行い、戦闘服は2着しかないので次の日もまた濡れた服を着ていかなければならない。
食事も被災者の前で食べるわけにはいかないので、場合によってはご遺体を運んだ車の中で食べなければなりません。
精神的な強さというのは、現状よりももっとつらい訓練の中で培っておかなけえれば絶対に耐えられるものではありません。
肉体的な強さについてもそうです。
例えば 30~50キロの重い荷物を背負いながら、100キロの道のりを歩くという訓練があります。
実際の戦場では体力温存のため、そのような長距離を歩くことはありません。
しかし、日ごろから訓練を行っていれば、いざという時に無理が利くようになるんです。
スキル面もすべて応用です。
日ごろから組織として動くという訓練をしておくことによって現場でバラバラにならず、指揮官の命令一つでどのようにでも動ける。
自衛隊というのは人数が十分ではないので、駐屯地ごとにそれぞれ専門部隊が分かれています。
任務があると、それぞれの駐屯地から必要な隊員をつまみ出してプロジェクトチームをつくるんです。
"ミッション・オリエンティッド"とよく言いますが、日ごろからそういう訓練をしておかないと、現場現場のニーズに対応できないんです」
――スキルといえば、今回は原子力災害派遣も行われましたが、原子力についても専門的な知識が必要とされると思います。
そういった訓練もされているのでしょうか?
「一部の部隊はそういう知識を持っていますが、ほとんどの隊員は持っていません。
ですから、今回も専門的な教育を受けた隊員がみんなに教育をしながら活動を行っています。
自衛隊員と言っても、大多数の人は放射能や原子力のことまでは分かりませんから。
ただやること自体は日ごろの国防の応用です。
ヘリから原子炉への散水や、放射能除染もそうです」
――すべての訓練が応用として現場で生かされているんですね。
しかし、そんな自衛隊員でも、精神的にまいってしまうこともあるともあるんじゃないですか?
先日、仙台に行ったときに、自衛隊員の人が「もうつらい」と漏らしていたという話を聞いたんですが。
「今までにないような経験をしていますからね。
たとえば、ご遺体にまつわる話ですが、ご遺族の方から探してほしいと頼まれて沼地などにボートや、あるいは胸まで沼に浸かりながら自衛隊員が捜索します。
ご遺族はその様子を周りで見ているわけです。
ようやく見つかったときに、ご遺体が想像していない状態であっても、自衛隊員はご遺族との対面に立ち会うわけですよね。
あるところでは、行方不明だった3歳の男の子のご遺体が自衛隊の捜索で見つかったんですが、ご遺体の状態は直視できるものではなかった。
そのご遺体を遺体袋に入れて引き渡すときに、お母さんが
『よかったね、自衛隊の人たちが助けてくれたよ。
今度生まれ変わって大きくなったら自衛隊に入れてもらおうね』
と泣きながら語りかけたそうです。
自衛隊員たちはみんなで線香をあげて合掌し、見送ったりするわけですが、そういう場面に何度も立ち会わなければならない。
自衛隊員たちにも家族がいるわけですから、やはりつらいものがあります」
――被災地での活躍ぶりを見ると自衛隊員はスーパーマンだと思ってしまいがちですが、人の死に立ち会うということはやはりつらいことなんですね。
本書では災害現場での口内炎や便秘といった、自衛隊員の身体的な苦労も語られていますが、他にも病気などに罹ることはあるのでしょうか?
「自衛隊は大"痔"主と言われています。
野外で用を足す場合が多いので、痔になりやすいんです。
それと、水虫も多いですね。
瓦礫を踏み抜かないようなブーツを履いているので足がやすいんです」
――佐藤議員も自衛官の時代はそういった悩みを抱えていたんですか?
「私は痔は大丈夫だったんですが、水虫は今でもダメですね(笑)。
あんな水浸しのところを歩くんだから、直るはずがないですよ」
――自衛隊に対する特別手当が。
わずか1,620円ということにも驚かされました。
「そこは言っても仕方がないことですが......。
ただ、自衛隊員が一番求めているものは名誉と誇りです。
被災者からの感謝の気持ちや、『生まれ変わったら自衛官になりたい』という言葉、それに天皇陛下からの頂いた感謝のお言葉......。
自分の身を犠牲にしてでも国のためにというのが自衛隊員の精神的な軸になっています。
その見返りはお金ではなく、名誉と誇りなんです」
――震災から3カ月が経過しました。
今後、自衛隊はどのような活動を行っていくのでしょうか?
「災害派遣の現場では、行方不明者の捜索は一段落するでしょう。
しかし、仮設住宅ができるまでは引き続き生活支援、つまり水と食事の支援が求められます。
また、いまだに続く福島第一原発事故でもモニタリングや除染などの活動が続いていきます。
現場から離れたところでは、今回の災害派遣を踏まえた教訓づくりが行われます。
今回の教訓事項を洗い出し、次に反映させる。
首都直下型地震や東海、東南海地震などが発生した場合に備え、準備を進めていきます」
――復旧活動を通して、あらためて自衛隊の活躍がクローズアップされています。
佐藤議員としては、この状況をどのようにご覧になりますか?
「震災の直後から多くの方々を救出し、ご遺体の捜索にあたるなど大活躍する自衛隊の姿は誇らしく感じています。
しかし一方で、自衛隊に対して間違ったイメージを持っている人も多くなっていると思いますね。
自衛隊を『災害派遣部隊』と見ている人や、災害派遣専用の部隊として強化すべきじゃないかという議論も出てきています」
――「自衛隊の本来の活動」とはどのようなものでしょう?
「自衛隊の任務には国際貢献や災害派遣もありますが、あくまでも『国防』が中心の軸です。
その応用で国際貢献や災害派遣などが可能になるわけで、そちらが中心になってしまったら間違いなく"弱い"自衛隊になってしまうでしょうね」
――最後に、佐藤議員から、現地で活躍する自衛隊員にメッセージはありますか?
「参加されている隊員の方々の汗と想いが被災者の希望になり、安心の糧になります。
だから最後まで力と汗を振り絞って活動していただきたいですね」
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]/写真=名和真紀子)
●さとう・まさひさ
1960 年、福島県生まれ。陸上自衛官として国連PKOゴラン高原派遣輸送隊初代隊長や、イラク先遣隊長、復興業務支援隊初代隊長などを歴任。
2007年に退官し、現在は自民党参議院議員として外交防衛委員会理事、自民党「影の内閣」防衛副大臣、国防部会長代理などのポストに就任している。
』
◇ ヒマつぶし検索
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● ヒゲの隊長・佐藤正久
『
日刊サイゾー 2011年06月26日08時20分
http://news.livedoor.com/article/detail/5662648/?p=1
【ヒゲの隊長・佐藤正久議員が語る】
「自衛隊はスーパーマンじゃない」
被災地で活躍する自衛隊員の知られざる苦労
「自衛隊ってすごい!」――。
今回の大震災であらためて自衛隊の活動に舌を巻いた人は多いことだろう。
被災地で活躍するその勇敢な姿は、被災者のみならず、日本中の希望として各メディアにこぞって報道された。
しかし、震災現場で自衛隊が具体的にどのような活動を行う集団なのかということはこれまであまり知られてこなかった。
はたして、震災現場や社会における自衛隊の役割とはどのようなものなのだろうか。
過日、
『ありがとう自衛隊 ~ヒゲの隊長が綴る日本再興奮闘記~』(ワニブックスPLUS新書)
を出版したばかりの元・自衛官、イラク派遣隊長を務めた際は「ヒゲの隊長」のあだ名で親しまれた参議院議員・佐藤正久氏に、知られざる自衛隊の現場について話を聞いた。
――今回の震災における自衛隊の活動で、佐藤議員が一番印象に残っているものはどのようなものですか?
「行方不明者の捜索ですね。
この任務は、生存率が大きく下がる最初の72時間が勝負と言われます。
震災発生当初はガソリンも供給できず、水や食料も届かないという状況の中で自衛隊が活躍をしました。
自衛隊は自己完結性を持った組織のため、食事も風呂もガソリンもすべて自ら賄うことができ、備蓄もある。
ただ、今回の震災では被災地域が広範囲に渡り、当初は自衛隊でも物資が足りませんでした。
ご遺体を発見してもそれを運ぶ担架すら不足しており、ご遺体を背中に背負って運んだり、ゴム長などもないので、カッパを上から着ただけの状態で海水の中に入っていったりしていました。
瓦礫で傷んでしまったご遺体の中には手足がなかったり顔がつぶれていたり、とくに津波では服が脱げてしまうため、裸のご遺体もたくさんありました。
そのため、泥だらけになったご遺体を洗ったりすることもあったんです。
とても厳しい状況でしたが、そういったご遺体の回収作業ができるのは自衛隊しかいないわけですから、やるしかないんです」
――自衛隊の災害派遣部隊の活動というのは、まず行方不明者の捜索から始まるんですか?
「はい。
最初は人命救助、捜索ですね。
その際、ご遺体も見つかるわけですから、一番優先順位が高い。
同時に後方部隊は食事や水の支援を行います。
今回は東北地方に住んでいる500人以上の隊員に出動命令が出ましたが、自分の家族と連絡も取れないまま現地へ向かい、行方不明者の捜索、あるいは孤立者の救出といった任務にあたった隊員も数多くいました。
実際に家族が亡くなったり、家が流された隊員もいます。
でも、自衛隊員は自分の身内よりも一人でも多くの被災者を救い出し、少しでも早くご遺体を家族の元に戻す、という使命感を持っているんです」
――自衛隊では行方不明者の捜索や瓦礫撤去など、災害派遣のための特殊な訓練もされているのでしょうか?
「あくまで国防のための訓練であり、災害用の特別な訓練をしているわけではありません。
訓練には精神面、肉体面、スキル面の3つがあります。
まず、精神面は日ごろから鍛えておかないと、いざ任務にあたる時に心が折れてしまいますよね。
今回、若い隊員の中にはご遺体を見たことがなかった者も多く、本当につらい状況だったと思います。
さらに雪や雨が降る中、かん水しているところに入り捜索活動を行い、戦闘服は2着しかないので次の日もまた濡れた服を着ていかなければならない。
食事も被災者の前で食べるわけにはいかないので、場合によってはご遺体を運んだ車の中で食べなければなりません。
精神的な強さというのは、現状よりももっとつらい訓練の中で培っておかなけえれば絶対に耐えられるものではありません。
肉体的な強さについてもそうです。
例えば 30~50キロの重い荷物を背負いながら、100キロの道のりを歩くという訓練があります。
実際の戦場では体力温存のため、そのような長距離を歩くことはありません。
しかし、日ごろから訓練を行っていれば、いざという時に無理が利くようになるんです。
スキル面もすべて応用です。
日ごろから組織として動くという訓練をしておくことによって現場でバラバラにならず、指揮官の命令一つでどのようにでも動ける。
自衛隊というのは人数が十分ではないので、駐屯地ごとにそれぞれ専門部隊が分かれています。
任務があると、それぞれの駐屯地から必要な隊員をつまみ出してプロジェクトチームをつくるんです。
"ミッション・オリエンティッド"とよく言いますが、日ごろからそういう訓練をしておかないと、現場現場のニーズに対応できないんです」
――スキルといえば、今回は原子力災害派遣も行われましたが、原子力についても専門的な知識が必要とされると思います。
そういった訓練もされているのでしょうか?
「一部の部隊はそういう知識を持っていますが、ほとんどの隊員は持っていません。
ですから、今回も専門的な教育を受けた隊員がみんなに教育をしながら活動を行っています。
自衛隊員と言っても、大多数の人は放射能や原子力のことまでは分かりませんから。
ただやること自体は日ごろの国防の応用です。
ヘリから原子炉への散水や、放射能除染もそうです」
――すべての訓練が応用として現場で生かされているんですね。
しかし、そんな自衛隊員でも、精神的にまいってしまうこともあるともあるんじゃないですか?
先日、仙台に行ったときに、自衛隊員の人が「もうつらい」と漏らしていたという話を聞いたんですが。
「今までにないような経験をしていますからね。
たとえば、ご遺体にまつわる話ですが、ご遺族の方から探してほしいと頼まれて沼地などにボートや、あるいは胸まで沼に浸かりながら自衛隊員が捜索します。
ご遺族はその様子を周りで見ているわけです。
ようやく見つかったときに、ご遺体が想像していない状態であっても、自衛隊員はご遺族との対面に立ち会うわけですよね。
あるところでは、行方不明だった3歳の男の子のご遺体が自衛隊の捜索で見つかったんですが、ご遺体の状態は直視できるものではなかった。
そのご遺体を遺体袋に入れて引き渡すときに、お母さんが
『よかったね、自衛隊の人たちが助けてくれたよ。
今度生まれ変わって大きくなったら自衛隊に入れてもらおうね』
と泣きながら語りかけたそうです。
自衛隊員たちはみんなで線香をあげて合掌し、見送ったりするわけですが、そういう場面に何度も立ち会わなければならない。
自衛隊員たちにも家族がいるわけですから、やはりつらいものがあります」
――被災地での活躍ぶりを見ると自衛隊員はスーパーマンだと思ってしまいがちですが、人の死に立ち会うということはやはりつらいことなんですね。
本書では災害現場での口内炎や便秘といった、自衛隊員の身体的な苦労も語られていますが、他にも病気などに罹ることはあるのでしょうか?
「自衛隊は大"痔"主と言われています。
野外で用を足す場合が多いので、痔になりやすいんです。
それと、水虫も多いですね。
瓦礫を踏み抜かないようなブーツを履いているので足がやすいんです」
――佐藤議員も自衛官の時代はそういった悩みを抱えていたんですか?
「私は痔は大丈夫だったんですが、水虫は今でもダメですね(笑)。
あんな水浸しのところを歩くんだから、直るはずがないですよ」
――自衛隊に対する特別手当が。
わずか1,620円ということにも驚かされました。
「そこは言っても仕方がないことですが......。
ただ、自衛隊員が一番求めているものは名誉と誇りです。
被災者からの感謝の気持ちや、『生まれ変わったら自衛官になりたい』という言葉、それに天皇陛下からの頂いた感謝のお言葉......。
自分の身を犠牲にしてでも国のためにというのが自衛隊員の精神的な軸になっています。
その見返りはお金ではなく、名誉と誇りなんです」
――震災から3カ月が経過しました。
今後、自衛隊はどのような活動を行っていくのでしょうか?
「災害派遣の現場では、行方不明者の捜索は一段落するでしょう。
しかし、仮設住宅ができるまでは引き続き生活支援、つまり水と食事の支援が求められます。
また、いまだに続く福島第一原発事故でもモニタリングや除染などの活動が続いていきます。
現場から離れたところでは、今回の災害派遣を踏まえた教訓づくりが行われます。
今回の教訓事項を洗い出し、次に反映させる。
首都直下型地震や東海、東南海地震などが発生した場合に備え、準備を進めていきます」
――復旧活動を通して、あらためて自衛隊の活躍がクローズアップされています。
佐藤議員としては、この状況をどのようにご覧になりますか?
「震災の直後から多くの方々を救出し、ご遺体の捜索にあたるなど大活躍する自衛隊の姿は誇らしく感じています。
しかし一方で、自衛隊に対して間違ったイメージを持っている人も多くなっていると思いますね。
自衛隊を『災害派遣部隊』と見ている人や、災害派遣専用の部隊として強化すべきじゃないかという議論も出てきています」
――「自衛隊の本来の活動」とはどのようなものでしょう?
「自衛隊の任務には国際貢献や災害派遣もありますが、あくまでも『国防』が中心の軸です。
その応用で国際貢献や災害派遣などが可能になるわけで、そちらが中心になってしまったら間違いなく"弱い"自衛隊になってしまうでしょうね」
――最後に、佐藤議員から、現地で活躍する自衛隊員にメッセージはありますか?
「参加されている隊員の方々の汗と想いが被災者の希望になり、安心の糧になります。
だから最後まで力と汗を振り絞って活動していただきたいですね」
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]/写真=名和真紀子)
●さとう・まさひさ
1960 年、福島県生まれ。陸上自衛官として国連PKOゴラン高原派遣輸送隊初代隊長や、イラク先遣隊長、復興業務支援隊初代隊長などを歴任。
2007年に退官し、現在は自民党参議院議員として外交防衛委員会理事、自民党「影の内閣」防衛副大臣、国防部会長代理などのポストに就任している。
』
◇ ヒマつぶし検索
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2011年6月24日金曜日
被災地のヒーローは(なんと)政治家!
_
● ボランティア現場.JPG
台風が近付くなか、重機を使って作業をこなす「はまセン」ボランティア(5月30日)
『
Newsweek 2011年06月17日(金)15時53分
http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2011/06/post-224.php
被災地のヒーローは(なんと)政治家!
永田町に幻滅している全国の皆様。
お気持ちお察しいたします。
被災地の中でも特に3月11日から時が止まったままの地域を目の当たりにすると、政治家に対する怒りは膨らむばかり。
被災地には
「最後はオカミが何とかしてくれる」
という希望を捨てないお年寄りもいるというのに、彼らの期待に応えられる政治家は、一体どこにいるのか。
――と、もはや怒る気力さえ失くしていたら、先日なんと、(やっと)出会ってしまった。
被災地をほったらかしにして政局に明け暮れる多くの政治家たちとは、似ても似つかぬ「政治家」に!
彼の名は、川上哲也(48)。
本職は「岐阜県議会議員」(無所属)だが、
「NPO法人岐阜県災害ボランティアコーディネーター協議会理事長」
という肩書きを併せ持つ。
そして、どうやら最近は後者が本職になりつつあるようだ。
何しろ4月20日に気仙沼市に「小泉浜災害ボランティアセンター」、通称「はまセン」を立ち上げ、それ以降2カ月近くも現地に滞在しながらボラセンの指揮を執っているという、異色の政治家なのだから。
川上は、初めて話したときから型破りな人物だった。
川上が運営している「はまセン」のHPを見ると、社会福祉協議会が運営している通常のボラセンではあり得ないような文句
――チェンソーが扱えるボランティア、家屋解体ボランティア募集、朝昼夕食付き、お風呂入れます、などなど
――が盛りだくさん。
GW中も募集制限は一切なく、HPに「ボランティア大募集!!」というビッグな赤字が踊っている。
HP上に公開されていた川上の携帯に電話し、取材に行きたいと言うと
「ご飯も寝るところもお風呂もありますから、心配なくいらしてください。その日は『はまセン』でボランティア同士が結婚式を挙げるんです。お待ちしてます~」
と、どこまでも政治家らしからぬフランクさ。
一体どんなボラセンなんだ、と疑問符をたくさん抱えながら、ついに先月末行ってきた。
● 川上.JPG
川上哲也(ビニールテントの中に作ったという仮設風呂の前で)
「はまセン」は、津波にのまれて道がなくなり、もはやカーナビが役に立たなくなった宮城県気仙沼市沿岸部の小高い丘の上にあった。
気仙沼市本吉町小泉の浜区という小さな集落に残された浜区多目的集会所を、「避難所」兼「はまセン」として使っているという。
先月末に訪れた「はまセン」は、電気が通ったのは4日前、水道はまだ使えず断水中という状態だった。
そんなまだまだ大変な被災地で3食風呂付、結婚式もやるから泊まっていけという川上とは、一体どんな人物なのか。
小雨が降るなか、「はまセン」の外でビニール傘を持った川上から渡されたのは、「県議」ではなく「NPO理事長」の名刺だった。
電話と同じく偉ぶったところは1つもなく、なんだかはちまきが似合いそうな応援団長といった雰囲気。
そんな彼が「こちらが寝るところです」と案内してくれたのは、避難所の一画だ。
避難所内の仕切りのない1室で、ボランティアと避難者、そして川上までもが布団や寝袋を並べて毎日寝泊りしているという(ボランティアはテントの持込も可)。
避難者とボランティアと政治家が、1日といわず1カ月以上も生活空間を共にする
――普通に考えればとんでもなくレアな体験だが、ボランティアや避難者は川上を政治家とは見ていない様子。
川上はそれくらい現地に溶け込んでいた。
「はまセン」はこれまで、制限を設けずに延べ約8000人のボランティアを受け入れ、約170世帯中90世帯が倒壊したこの集落で「全世帯対応」というやり方を続けてきた。
全世帯対応とは、通常のボラセンのように
「被災者から依頼されてからその世帯に出向く」
という形ではなく、
「今日はこの地区を片付けます」
と発信し、「来ないで」という人だけに手を挙げてもらう仕組み。
被災者が「依頼する」、ボランティアが「依頼を待つ」というプロセスを省くため、ボランティアが余ることはないしニーズは常に存在する。
ボランティアの内容も、瓦礫撤去や泥出しだけに留まらない。
倒れているヒノキの大木をチェンソーで切り、ユニックで大木を吊り上げて軽トラックで集積所まで運ぶといった作業もこなす。
ボランティアが業者さながらの働きをするため、とにかく作業スピードが速い。
こうしたやり方で浜地区は一気に片付き、取材に行った時点で活動エリアの作業はほぼ終了していた。
そんなボランティアに対して、地元住民の信頼は厚い。
ボランティアと避難者は、避難所の台所や、屋外に設置された仮設トイレ、川上らが手づくりで作った風呂などを共有している。
避難所にボラセンを立ち上げることについて誰かの許可を取ったのかと聞くと、川上と地元代表の気仙沼中央公民館副館長、及川正男は顔を見合わせ、「そういえば取ってないね~」と苦笑。
政治家なのに「手続き」無視か、と(肯定的な)ツッコミを入れたくもなるのだが、そこは及川が
「市は黙認してくれているんじゃないか」
とフォローする。
こうしたやり方が成り立つのは、「はまセン」の運営が「こうあるべき」という机上の空論ではなく実利に基づいているからだろう。
避難者用の食事は地元住民が作り、ボランティアの食事はボランティアが作るというが、食材は「共有」することもある。
避難所に届く食材をボランティアが食べるとは「けしからん」ことにように思えるが、避難所には避難者数の食材が届き、ボランティアも食材を持ち込んだ結果、日持ちしない生ものなどはどうしても余る。
何より、避難者の誰に聞いても、生活すべてをボランティアと共有することに「まったく抵抗ない」とあっけらかんとした答えが返ってくる。
むしろ、ボランティアがいなくなったら「寂しくなるね~」という声をいくつも聞いた。
ここでは、避難者はボランティアを「支援者」というより、復興に向けた「仲間」と見ているようだ。
それでも、どんなにすばらしい活動をしていても、政治家と聞けば「何か裏があるのでは」と疑ってしまうのが記者の習性だ。
いくら岐阜県議と言え、この遠い気仙沼の地に何かしらの利権があるのではないか――。
だが、そんな疑念の裏は取れなかった。
そもそも、川上がこの場所に「はまセン」を立ち上げたのは全くの偶然だ。
これまでに中国四川大地震や中越地震など国内外で災害ボランティア活動を行ってきた川上は、3月11日の夜に岐阜を出発。
被災地をいくつか回った後、避難所となったこの浜区多目的集会所を訪れると支援の手が全く届いていなかった。
住民が「いつもここは後回し」と諦める姿を見て、この場所を支援の拠点にしようと決めたという。
「はまセン」の運営資金は、スタッフの人件費がないためそれほどかからない。
仮設風呂のボイラーなどは地元である岐阜県高山市から持ってきたし、大きな買い物はテント2針程度。
HP上で寄付も募っているが、一番実入りがいいのは「はまセン」に設置した募金箱だという。
5月末の時点でボランティアなどからの義援金約200万円が集まったが、余ったカネはもちろん「この場所に寄付して帰る」。
取材に訪れたこの日、「はまセン」ではボランティア同士の結婚式が執り行われた。
静岡県出身の男女2人が「はまセン」で長期に渡って活動するうち、避難者も毎日参加しているミーティング中に「ここで結婚式挙げたら?」という声が上がり、挙式を決めたという。
地元住民がすべて揃えてくれたというドレスとタキシードに身を包み、新郎新婦は「はまセン」に集まった大勢の被災者とボランティアを証人にして人前式を挙げた。
地元住民が20年前に使ったというブーケと手づくりのティアラを身につけた新婦(32)は、この場所で結婚式を挙げていいものか迷ったというが、地元の住民からの
「ここで結婚式を挙げることで支援の手が増えてくれたら」
という言葉で決意したという。
浸水した民家で行われた披露宴には、避難所から仮設住宅に移ったという三浦安昭(81)も駆け付けた。
「ボランティアって言葉は聞いたことはあったけど、こんな大きな輪になってやってくれるとは思ってもみなかった。
この場所を第2の人生の出発点に選んでくれて、嬉しいねぇ」
と顔をほころばせた。
避難所で生活する小野寺うめ子(85)は、
「結婚式なんて久しぶりに見た。
これもボランティアのおかげ。
ボランティアがいなくなったら寂しくなる」
という。
この、被災者主催の異色の結婚式で仲人を務めたのは――やはり川上だった。
● 結婚式.JPG
地元住民から祝福されるボランティアの新郎新婦。左が川上
被災者から「あの人はすごい人」「あの人のおかげ」と感謝と尊敬の念を集める川上。
「はまセン」を5月29日に閉める予定だったが、住民の要請で6月12日まで活動期間を延ばした。
「県議なのに地元を離れていて大丈夫なのか」と聞くと、「いやぁ、ダメでしょう」と苦笑い。
「これ以上は延ばさないのか」というこちらの質問に、「もう延ばしません」と言い切っていた川上だが、被災者の声は無視できなかったらしい。
閉所を目前にしていた6月9日、南三陸町歌津町名足地域から「名足も小泉浜のようにきれいにして欲しい」という要請を受けて、6月26日まで「はまセン」の活動を延長することにしたという。
後で知ったのだが、実は4月10日には岐阜県で県議会選挙が行われていた。
にも関わらず、川上が選挙の準備で地元に帰ったのは3月末の4日間だけだというから驚きだ(結果は無投票当選)。
選挙より政局より、市民の声を聞く――国会議員と県会議員で違いがあるとはいえ、本来ならば川上の姿勢こそ「政治家らしい政治家」のあるべき姿のはず。
誰か彼に続く人物はいないのだろうか。
――編集部・小暮聡子
』
こういうボランテイアセンターがあったとはまるで知らなかった。
もう少し早く分かったらささやかな応援をさせてもらったのにと思う。
この『はまセン』のホームページを見てみる。
『
『はまセン』 気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター
気仙沼市本吉町の小泉浜を支援する災害ボランティアセンターです。
愛称は『はまセン』。 多くの皆さまのご参加をお願いします。
http://hamacen.hida-ch.com/e312531.html
『はまセン』ラストスパート!!
南三陸町の名足地域や気仙沼市内の隣接エリアから活動リクエストがあったため、活動期間を急遽延長!!
『はまセン』は6月26日まで元気に活動します。
全国から駆け付けて頂いたボランティアの皆さま、小泉浜の皆さま、ご支援ご協力本当にありがとうございます。
【活動の経過とお願い】
3月22日に初めて気仙沼を訪れ、小泉浜にある「浜区避難所」の支援活動を開始しました。
当時は、旧本吉町のはずれにある小さな集落には支援も殆ど届いていない状態で、
「わしらの生活は、本当に元に戻るのか」
と涙を流しながら問いかけてみえた方もありました。
物資を運び、避難所に断熱シートを敷き、1,000リットルのお風呂を2ヶ所作り、洗濯機を設置し、炊き出しを行い、医師・歯科医師・薬剤師の医療支援、美容師によるカットなどなど…。
しかしこの間、がれきを除去するボランティアの姿は全く見えませんでした。
地域の中をまわると、「3時20分~25分」を指したまま止まっている時計がいくつもあり、がれきの山は1ヶ月経っても「最初訪れた時のまま」。
小泉浜の『時』が止まってしまっていたようにも感じられました。
さらに、地域の方からは
「ここは、いつでも一番最後になる地域だからね。」
という諦めにも近い言葉が…。
小泉浜の「時」を動かそうと、避難所の責任者や振興会長さんにも相談し、立ち上げることとしたのが「小泉浜災害ボランティアセンター」。
通称『はまセン』
4月20日からボランティアの受入れを開始し、地域の皆さまにも様々な形でご協力を頂きました。
避難所施設の間借りだけではなく、駐車場用地・テントサイト用地のご協力、お風呂の共同使用、ボランティア用宿泊施設のご協力などなど…。
朝と夕方には地域皆さんの全体ミーティングに参加させて頂き、お風呂に一緒に入らせて頂いて、地域の皆さんがいつも「顔の見えるところ」で協力してくださいました。
それだけご協力頂いているため、
「被災された方・地域からのニーズに100%お応えする」
を目指し、
これまで立ち上げたボランティアセンターではタブー視されていた
「チェンソー・ユンボー(重機)・ユニック・高所作業」
などを積極的に取り入れ、活動を進めさせて頂きました。
今、全国から集まってくださったボランティアの活動を見て、地域の方からは、
「ボランティアさんに勇気をもらったよ。もう一度漁船を買って頑張るよ。」
という声や、地域の役員会でも、
「仮設住宅への入居で地域がバラバラになりかけているけど、ボランティアさんにどこよりも早くこんなに立派に(きれいに)してもらったんだから、今度は自分達が気持ちを一つにして地域を良くしていかねばなんねぇっぺ。」
という声が次々出されるようになりました。
震災で止まっていた「小泉浜の時」が動き始めたように感じています。
これも全て、全国から駆け付けてくださったボランティアの皆さま、地域の皆さまのご協力のおかげです。
本当にありがとうございました。
『はまセン』の、「小泉浜地域に対する支援活動」はもうすぐ「完了」しようとしています…が、被災された方の「災害の爪あととの闘い」は長く長く続きます。
全国の皆さま、引き続きのご支援ご協力を宜しくお願い申し上げます。
そして、6月9日、
閉所式を目前にしていたのですが、南三陸町歌津町名足地域の区長さん、会長さんから支援要請を頂きました。
また、気仙沼市内の隣接エリアからも追加ニーズを頂きました。
『はまセン』は26日まで頑張ります!!
『はまセン』気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター
代表 川上哲也
今後の日程はカテゴリの「日程」をご覧ください。
本日も、『はまセン』は元気に活動しています!!
『はまセン』はリピーター率の高いボランティアセンターですので、安心して参加できます!!
ツイッター:@hamacen
「はまセン」は、個人・団体、性別、年齢、県内外等問わずボランティアを大募集!!
「活動」は必ず見つかります!!
宿泊(テント)、食事、駐車場、洗濯機、全て完備!!
是非「はまセン」の活動にご参加ください。
活動期間延長!!
『はまセン』は、6月26日(日)まで
ボランティア大募集!!
1時間でもかまいません。
『はまセン』の活動に参加してください!!
急募!! ユンボー
急募!! ダンプ
高所作業ができるボランティア
がれき処理ボランティア
被災された方に贈る「軽トラ(中古も可)」も大募集
・ガレキ運搬ボランティア
・家屋(屋根等)解体ボランティア
・チェンソーが扱えるボランティア
・調理ボランティア
・家屋内片付けボランティア
・避難所のお手伝いボランティア
それぞれ大募集!!
アクセス:土日の午前中は「GW中及び土日のアクセス」の通りにお越し頂けば、東北自動車道以外は現地まで渋滞していません。
ボランティアの寄書き(毎日書いて頂き、避難所内に貼っています)
これまでに、延べ約10,000名のボランティアさんが汗を流しました。
お風呂に入れるようになり、みるみる間に地域の姿が変わり、地域の皆さんからは「喜びの声」が多数届いています。
「生きる勇気を失っていたけど、ボランティアのおかげで生きる勇気をもらえました。」
という手紙も頂きました。
これも全て、活動に参加してくださった全ての皆さまのおかげです。
本当にありがとうございます。
…と同時に、新しい依頼も続々と入っています。
まだまだボランティアを必要としています。
『はまセン』は6月26日まで毎日、ボランティアを大募集!!
「本当に仕事はあるんですか?」というお問合せもありますが、作業は最終日まで必ずありますので、「作業の有無」については確認無しでお越しください。
事前予約は要りません。
個人・団体全て受入れますが、バスでお越しの場合は事前にご連絡ください。
駐車場、テントサイト完備!!
朝昼夕食も食べることができ、洗濯もでき、なんと、毎日お風呂にも入れます。(大好評!!)
全国の皆さま、被災地の涙を減らし、笑顔を増やすため、是非『はまセン』の活動にご参加ください!!
被災者&ボランティア用お風呂の燃料(灯油)代、発電機用ガソリン代、資器材購入費などの資金が不足しています。
どうかご協力を宜しくお願いします。
口座:仙台銀行津谷支店
普1944841
はまセン
『はまセン』は気仙沼市の南端、「小泉浜区」の支援活動を中心に行う災害ボランティアセンターです。
JRは復旧のめどが立たず、バスもまだ非常に不便な状況のため、ボランティアによる支援が届き難い地域となっています。
これまでに延べ約10,000人以上のボランティアが活動しました…が、近隣地域からも依頼があったため、まだまだまだまだまだ作業があります。
住所:気仙沼市本吉町今朝磯58
活動時間:9時~16時(活動現場が近いため午後も受付けしています)
※個人でも団体でも受付けしています。
※事前登録は必要ありません。
※男女、年齢問いません。
アクセス:三陸自動車道「登米東和IC」から約30km(詳しくは「はまセンへのアクセス」をご覧ください)
土日の午前中は「アクセス」の中の「GW・土日のアクセス」をご覧ください。
ルート概要(下記をクリックしてください)
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&vps=2&jsv=334b&brcurrent=h3,0x5f8892ddfbe0dc71:0xce6fb9385107a4ad&oe=UTF8&msa=0&msid=205426376973723975842.0004a211a5c5bd6af0535
お問合せ:またはホームページ右上の「お問合せ」でメールをお送りください。
』
『
『はまセン』参加者の写真
http://hamaho.hida-ch.com/
』
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● ボランティア現場.JPG
台風が近付くなか、重機を使って作業をこなす「はまセン」ボランティア(5月30日)
『
Newsweek 2011年06月17日(金)15時53分
http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2011/06/post-224.php
被災地のヒーローは(なんと)政治家!
永田町に幻滅している全国の皆様。
お気持ちお察しいたします。
被災地の中でも特に3月11日から時が止まったままの地域を目の当たりにすると、政治家に対する怒りは膨らむばかり。
被災地には
「最後はオカミが何とかしてくれる」
という希望を捨てないお年寄りもいるというのに、彼らの期待に応えられる政治家は、一体どこにいるのか。
――と、もはや怒る気力さえ失くしていたら、先日なんと、(やっと)出会ってしまった。
被災地をほったらかしにして政局に明け暮れる多くの政治家たちとは、似ても似つかぬ「政治家」に!
彼の名は、川上哲也(48)。
本職は「岐阜県議会議員」(無所属)だが、
「NPO法人岐阜県災害ボランティアコーディネーター協議会理事長」
という肩書きを併せ持つ。
そして、どうやら最近は後者が本職になりつつあるようだ。
何しろ4月20日に気仙沼市に「小泉浜災害ボランティアセンター」、通称「はまセン」を立ち上げ、それ以降2カ月近くも現地に滞在しながらボラセンの指揮を執っているという、異色の政治家なのだから。
川上は、初めて話したときから型破りな人物だった。
川上が運営している「はまセン」のHPを見ると、社会福祉協議会が運営している通常のボラセンではあり得ないような文句
――チェンソーが扱えるボランティア、家屋解体ボランティア募集、朝昼夕食付き、お風呂入れます、などなど
――が盛りだくさん。
GW中も募集制限は一切なく、HPに「ボランティア大募集!!」というビッグな赤字が踊っている。
HP上に公開されていた川上の携帯に電話し、取材に行きたいと言うと
「ご飯も寝るところもお風呂もありますから、心配なくいらしてください。その日は『はまセン』でボランティア同士が結婚式を挙げるんです。お待ちしてます~」
と、どこまでも政治家らしからぬフランクさ。
一体どんなボラセンなんだ、と疑問符をたくさん抱えながら、ついに先月末行ってきた。
● 川上.JPG
川上哲也(ビニールテントの中に作ったという仮設風呂の前で)
「はまセン」は、津波にのまれて道がなくなり、もはやカーナビが役に立たなくなった宮城県気仙沼市沿岸部の小高い丘の上にあった。
気仙沼市本吉町小泉の浜区という小さな集落に残された浜区多目的集会所を、「避難所」兼「はまセン」として使っているという。
先月末に訪れた「はまセン」は、電気が通ったのは4日前、水道はまだ使えず断水中という状態だった。
そんなまだまだ大変な被災地で3食風呂付、結婚式もやるから泊まっていけという川上とは、一体どんな人物なのか。
小雨が降るなか、「はまセン」の外でビニール傘を持った川上から渡されたのは、「県議」ではなく「NPO理事長」の名刺だった。
電話と同じく偉ぶったところは1つもなく、なんだかはちまきが似合いそうな応援団長といった雰囲気。
そんな彼が「こちらが寝るところです」と案内してくれたのは、避難所の一画だ。
避難所内の仕切りのない1室で、ボランティアと避難者、そして川上までもが布団や寝袋を並べて毎日寝泊りしているという(ボランティアはテントの持込も可)。
避難者とボランティアと政治家が、1日といわず1カ月以上も生活空間を共にする
――普通に考えればとんでもなくレアな体験だが、ボランティアや避難者は川上を政治家とは見ていない様子。
川上はそれくらい現地に溶け込んでいた。
「はまセン」はこれまで、制限を設けずに延べ約8000人のボランティアを受け入れ、約170世帯中90世帯が倒壊したこの集落で「全世帯対応」というやり方を続けてきた。
全世帯対応とは、通常のボラセンのように
「被災者から依頼されてからその世帯に出向く」
という形ではなく、
「今日はこの地区を片付けます」
と発信し、「来ないで」という人だけに手を挙げてもらう仕組み。
被災者が「依頼する」、ボランティアが「依頼を待つ」というプロセスを省くため、ボランティアが余ることはないしニーズは常に存在する。
ボランティアの内容も、瓦礫撤去や泥出しだけに留まらない。
倒れているヒノキの大木をチェンソーで切り、ユニックで大木を吊り上げて軽トラックで集積所まで運ぶといった作業もこなす。
ボランティアが業者さながらの働きをするため、とにかく作業スピードが速い。
こうしたやり方で浜地区は一気に片付き、取材に行った時点で活動エリアの作業はほぼ終了していた。
そんなボランティアに対して、地元住民の信頼は厚い。
ボランティアと避難者は、避難所の台所や、屋外に設置された仮設トイレ、川上らが手づくりで作った風呂などを共有している。
避難所にボラセンを立ち上げることについて誰かの許可を取ったのかと聞くと、川上と地元代表の気仙沼中央公民館副館長、及川正男は顔を見合わせ、「そういえば取ってないね~」と苦笑。
政治家なのに「手続き」無視か、と(肯定的な)ツッコミを入れたくもなるのだが、そこは及川が
「市は黙認してくれているんじゃないか」
とフォローする。
こうしたやり方が成り立つのは、「はまセン」の運営が「こうあるべき」という机上の空論ではなく実利に基づいているからだろう。
避難者用の食事は地元住民が作り、ボランティアの食事はボランティアが作るというが、食材は「共有」することもある。
避難所に届く食材をボランティアが食べるとは「けしからん」ことにように思えるが、避難所には避難者数の食材が届き、ボランティアも食材を持ち込んだ結果、日持ちしない生ものなどはどうしても余る。
何より、避難者の誰に聞いても、生活すべてをボランティアと共有することに「まったく抵抗ない」とあっけらかんとした答えが返ってくる。
むしろ、ボランティアがいなくなったら「寂しくなるね~」という声をいくつも聞いた。
ここでは、避難者はボランティアを「支援者」というより、復興に向けた「仲間」と見ているようだ。
それでも、どんなにすばらしい活動をしていても、政治家と聞けば「何か裏があるのでは」と疑ってしまうのが記者の習性だ。
いくら岐阜県議と言え、この遠い気仙沼の地に何かしらの利権があるのではないか――。
だが、そんな疑念の裏は取れなかった。
そもそも、川上がこの場所に「はまセン」を立ち上げたのは全くの偶然だ。
これまでに中国四川大地震や中越地震など国内外で災害ボランティア活動を行ってきた川上は、3月11日の夜に岐阜を出発。
被災地をいくつか回った後、避難所となったこの浜区多目的集会所を訪れると支援の手が全く届いていなかった。
住民が「いつもここは後回し」と諦める姿を見て、この場所を支援の拠点にしようと決めたという。
「はまセン」の運営資金は、スタッフの人件費がないためそれほどかからない。
仮設風呂のボイラーなどは地元である岐阜県高山市から持ってきたし、大きな買い物はテント2針程度。
HP上で寄付も募っているが、一番実入りがいいのは「はまセン」に設置した募金箱だという。
5月末の時点でボランティアなどからの義援金約200万円が集まったが、余ったカネはもちろん「この場所に寄付して帰る」。
取材に訪れたこの日、「はまセン」ではボランティア同士の結婚式が執り行われた。
静岡県出身の男女2人が「はまセン」で長期に渡って活動するうち、避難者も毎日参加しているミーティング中に「ここで結婚式挙げたら?」という声が上がり、挙式を決めたという。
地元住民がすべて揃えてくれたというドレスとタキシードに身を包み、新郎新婦は「はまセン」に集まった大勢の被災者とボランティアを証人にして人前式を挙げた。
地元住民が20年前に使ったというブーケと手づくりのティアラを身につけた新婦(32)は、この場所で結婚式を挙げていいものか迷ったというが、地元の住民からの
「ここで結婚式を挙げることで支援の手が増えてくれたら」
という言葉で決意したという。
浸水した民家で行われた披露宴には、避難所から仮設住宅に移ったという三浦安昭(81)も駆け付けた。
「ボランティアって言葉は聞いたことはあったけど、こんな大きな輪になってやってくれるとは思ってもみなかった。
この場所を第2の人生の出発点に選んでくれて、嬉しいねぇ」
と顔をほころばせた。
避難所で生活する小野寺うめ子(85)は、
「結婚式なんて久しぶりに見た。
これもボランティアのおかげ。
ボランティアがいなくなったら寂しくなる」
という。
この、被災者主催の異色の結婚式で仲人を務めたのは――やはり川上だった。
● 結婚式.JPG
地元住民から祝福されるボランティアの新郎新婦。左が川上
被災者から「あの人はすごい人」「あの人のおかげ」と感謝と尊敬の念を集める川上。
「はまセン」を5月29日に閉める予定だったが、住民の要請で6月12日まで活動期間を延ばした。
「県議なのに地元を離れていて大丈夫なのか」と聞くと、「いやぁ、ダメでしょう」と苦笑い。
「これ以上は延ばさないのか」というこちらの質問に、「もう延ばしません」と言い切っていた川上だが、被災者の声は無視できなかったらしい。
閉所を目前にしていた6月9日、南三陸町歌津町名足地域から「名足も小泉浜のようにきれいにして欲しい」という要請を受けて、6月26日まで「はまセン」の活動を延長することにしたという。
後で知ったのだが、実は4月10日には岐阜県で県議会選挙が行われていた。
にも関わらず、川上が選挙の準備で地元に帰ったのは3月末の4日間だけだというから驚きだ(結果は無投票当選)。
選挙より政局より、市民の声を聞く――国会議員と県会議員で違いがあるとはいえ、本来ならば川上の姿勢こそ「政治家らしい政治家」のあるべき姿のはず。
誰か彼に続く人物はいないのだろうか。
――編集部・小暮聡子
』
こういうボランテイアセンターがあったとはまるで知らなかった。
もう少し早く分かったらささやかな応援をさせてもらったのにと思う。
この『はまセン』のホームページを見てみる。
『
『はまセン』 気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター
気仙沼市本吉町の小泉浜を支援する災害ボランティアセンターです。
愛称は『はまセン』。 多くの皆さまのご参加をお願いします。
http://hamacen.hida-ch.com/e312531.html
『はまセン』ラストスパート!!
南三陸町の名足地域や気仙沼市内の隣接エリアから活動リクエストがあったため、活動期間を急遽延長!!
『はまセン』は6月26日まで元気に活動します。
全国から駆け付けて頂いたボランティアの皆さま、小泉浜の皆さま、ご支援ご協力本当にありがとうございます。
【活動の経過とお願い】
3月22日に初めて気仙沼を訪れ、小泉浜にある「浜区避難所」の支援活動を開始しました。
当時は、旧本吉町のはずれにある小さな集落には支援も殆ど届いていない状態で、
「わしらの生活は、本当に元に戻るのか」
と涙を流しながら問いかけてみえた方もありました。
物資を運び、避難所に断熱シートを敷き、1,000リットルのお風呂を2ヶ所作り、洗濯機を設置し、炊き出しを行い、医師・歯科医師・薬剤師の医療支援、美容師によるカットなどなど…。
しかしこの間、がれきを除去するボランティアの姿は全く見えませんでした。
地域の中をまわると、「3時20分~25分」を指したまま止まっている時計がいくつもあり、がれきの山は1ヶ月経っても「最初訪れた時のまま」。
小泉浜の『時』が止まってしまっていたようにも感じられました。
さらに、地域の方からは
「ここは、いつでも一番最後になる地域だからね。」
という諦めにも近い言葉が…。
小泉浜の「時」を動かそうと、避難所の責任者や振興会長さんにも相談し、立ち上げることとしたのが「小泉浜災害ボランティアセンター」。
通称『はまセン』
4月20日からボランティアの受入れを開始し、地域の皆さまにも様々な形でご協力を頂きました。
避難所施設の間借りだけではなく、駐車場用地・テントサイト用地のご協力、お風呂の共同使用、ボランティア用宿泊施設のご協力などなど…。
朝と夕方には地域皆さんの全体ミーティングに参加させて頂き、お風呂に一緒に入らせて頂いて、地域の皆さんがいつも「顔の見えるところ」で協力してくださいました。
それだけご協力頂いているため、
「被災された方・地域からのニーズに100%お応えする」
を目指し、
これまで立ち上げたボランティアセンターではタブー視されていた
「チェンソー・ユンボー(重機)・ユニック・高所作業」
などを積極的に取り入れ、活動を進めさせて頂きました。
今、全国から集まってくださったボランティアの活動を見て、地域の方からは、
「ボランティアさんに勇気をもらったよ。もう一度漁船を買って頑張るよ。」
という声や、地域の役員会でも、
「仮設住宅への入居で地域がバラバラになりかけているけど、ボランティアさんにどこよりも早くこんなに立派に(きれいに)してもらったんだから、今度は自分達が気持ちを一つにして地域を良くしていかねばなんねぇっぺ。」
という声が次々出されるようになりました。
震災で止まっていた「小泉浜の時」が動き始めたように感じています。
これも全て、全国から駆け付けてくださったボランティアの皆さま、地域の皆さまのご協力のおかげです。
本当にありがとうございました。
『はまセン』の、「小泉浜地域に対する支援活動」はもうすぐ「完了」しようとしています…が、被災された方の「災害の爪あととの闘い」は長く長く続きます。
全国の皆さま、引き続きのご支援ご協力を宜しくお願い申し上げます。
そして、6月9日、
閉所式を目前にしていたのですが、南三陸町歌津町名足地域の区長さん、会長さんから支援要請を頂きました。
また、気仙沼市内の隣接エリアからも追加ニーズを頂きました。
『はまセン』は26日まで頑張ります!!
『はまセン』気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター
代表 川上哲也
今後の日程はカテゴリの「日程」をご覧ください。
本日も、『はまセン』は元気に活動しています!!
『はまセン』はリピーター率の高いボランティアセンターですので、安心して参加できます!!
ツイッター:@hamacen
「はまセン」は、個人・団体、性別、年齢、県内外等問わずボランティアを大募集!!
「活動」は必ず見つかります!!
宿泊(テント)、食事、駐車場、洗濯機、全て完備!!
是非「はまセン」の活動にご参加ください。
活動期間延長!!
『はまセン』は、6月26日(日)まで
ボランティア大募集!!
1時間でもかまいません。
『はまセン』の活動に参加してください!!
急募!! ユンボー
急募!! ダンプ
高所作業ができるボランティア
がれき処理ボランティア
被災された方に贈る「軽トラ(中古も可)」も大募集
・ガレキ運搬ボランティア
・家屋(屋根等)解体ボランティア
・チェンソーが扱えるボランティア
・調理ボランティア
・家屋内片付けボランティア
・避難所のお手伝いボランティア
それぞれ大募集!!
アクセス:土日の午前中は「GW中及び土日のアクセス」の通りにお越し頂けば、東北自動車道以外は現地まで渋滞していません。
ボランティアの寄書き(毎日書いて頂き、避難所内に貼っています)
これまでに、延べ約10,000名のボランティアさんが汗を流しました。
お風呂に入れるようになり、みるみる間に地域の姿が変わり、地域の皆さんからは「喜びの声」が多数届いています。
「生きる勇気を失っていたけど、ボランティアのおかげで生きる勇気をもらえました。」
という手紙も頂きました。
これも全て、活動に参加してくださった全ての皆さまのおかげです。
本当にありがとうございます。
…と同時に、新しい依頼も続々と入っています。
まだまだボランティアを必要としています。
『はまセン』は6月26日まで毎日、ボランティアを大募集!!
「本当に仕事はあるんですか?」というお問合せもありますが、作業は最終日まで必ずありますので、「作業の有無」については確認無しでお越しください。
事前予約は要りません。
個人・団体全て受入れますが、バスでお越しの場合は事前にご連絡ください。
駐車場、テントサイト完備!!
朝昼夕食も食べることができ、洗濯もでき、なんと、毎日お風呂にも入れます。(大好評!!)
全国の皆さま、被災地の涙を減らし、笑顔を増やすため、是非『はまセン』の活動にご参加ください!!
被災者&ボランティア用お風呂の燃料(灯油)代、発電機用ガソリン代、資器材購入費などの資金が不足しています。
どうかご協力を宜しくお願いします。
口座:仙台銀行津谷支店
普1944841
はまセン
『はまセン』は気仙沼市の南端、「小泉浜区」の支援活動を中心に行う災害ボランティアセンターです。
JRは復旧のめどが立たず、バスもまだ非常に不便な状況のため、ボランティアによる支援が届き難い地域となっています。
これまでに延べ約10,000人以上のボランティアが活動しました…が、近隣地域からも依頼があったため、まだまだまだまだまだ作業があります。
住所:気仙沼市本吉町今朝磯58
活動時間:9時~16時(活動現場が近いため午後も受付けしています)
※個人でも団体でも受付けしています。
※事前登録は必要ありません。
※男女、年齢問いません。
アクセス:三陸自動車道「登米東和IC」から約30km(詳しくは「はまセンへのアクセス」をご覧ください)
土日の午前中は「アクセス」の中の「GW・土日のアクセス」をご覧ください。
ルート概要(下記をクリックしてください)
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&vps=2&jsv=334b&brcurrent=h3,0x5f8892ddfbe0dc71:0xce6fb9385107a4ad&oe=UTF8&msa=0&msid=205426376973723975842.0004a211a5c5bd6af0535
お問合せ:またはホームページ右上の「お問合せ」でメールをお送りください。
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『はまセン』参加者の写真
http://hamaho.hida-ch.com/
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アメリカ:洪水で原子力発電所が浸水
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● 米ミズーリ川の氾濫で、周囲が水に漬かったネブラスカ州のフォートカルフーン原発=24日(ロイター)
『
CNNニュース 2011.06.24 Fri posted at: 10:30 JST
http://www.cnn.co.jp/usa/30003169.html
洪水で原子力発電所が浸水、監視続く 米ネブラスカ州
米中西部を流れるミズーリ川が氾濫し、ネブラスカ州にある2基の原子力発電所の一帯が洪水に見舞われている。
米原子力規制委員会(NRC)は23日、両施設とも安全対策は万全との見方を示し、たとえミズーリ川の氾濫が数週間続いたとしても、発電所に被害が出ることはないと強調した。
同州のフォートカルフーン原発は、既に敷地の一部が60センチの水に浸かった。
しかし原子炉や変圧器などの重要設備は防水壁で囲み、非常用のディーゼル発電機や送水ポンプ、土のう、消火装置などの設備も増強。
同原発は周辺一帯の洪水を受けて6月6日に「異常事態」を宣言、NRCが検査官を派遣して24時間態勢で状況を見守っている。
燃料補給のため運転は4月から停止中だという。
一方、フル稼働中のクーパー原発も19日に異常事態を宣言したが、現時点で敷地の浸水には至っていない。
NRCは、もし必要になれば同原発の検査官も増員する意向だとしている。
ミズーリ川は、上流のモンタナ、ノースダコタ両州で豪雨が続いた影響で増水し、下流の堤防が次々に決壊、周辺の住民に避難勧告が出されている。
フォートカルフーン原発を運営するオマハ電力公社はウェブサイトに専用ページを設け、放射性物質が放出された事実はないと説明するなど、デマの打ち消しを続けている。
』
大雨による洪水程度でおかしくなるほど原発はヤワにはできていないだろう。
もし、この程度で問題が発生するようなら、アメリカの原発は直ちにすべて止めないと危なっかしく見ていられない。
しかし、こんな場所に原発などつくるべきではない。
福島のように「想定外」という事態は常に起こりうるということだろう。
『
産経ニュース 2011.6.27 14:22
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110627/amr11062714240006-n1.htm
原発で非常電源作動 米ネブラスカ州 洪水で水流れ込む
米ミズーリ川の氾濫により周囲が水に漬かったネブラスカ州のフォートカルフーン原発で26日、防水のため設置された臨時の堤防が壊れ、施設内部に水が流れ込んで電源が一時失われたため、非常用のディーゼル発電機を作動させた。AP通信などが伝えた。
その後、外部から電気供給が可能となり、非常用電源は必要なくなった。同原発を所有するオマハ電力公社や米原子力規制委員会(NRC)は、防水措置は何重にも施されており、安全性に問題はないとしている。
同原発は燃料補充のため4月上旬に運転を停止。その後も、洪水の可能性が高まったため停止を続けている。
同原発一帯は6月中旬までに水に漬かった。東日本大震災後の津波で福島第1原発の事故が起きたこともあり、住民から安全性を懸念する声が上がっている。(共同)
』
『
ロイター 2011年 06月 27日 12:45 JST
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-21899920110627
浸水被害の米ネブラスカ州原発、防水施設の一部が決壊
[ワシントン 26日 ロイター] ミズーリ川の氾濫で周辺一帯が浸水している米ネブラスカ州のフォートカルフーン原発で26日、防水施設の一部が破損し、原子炉格納建屋など重要施設の周囲にも水が迫った。
ただ、原子炉そのものに影響はないという。
米国原子力規制委員会(NRC)によると、現地時間午前1時25分ごろ、同原発の周囲に水入りの容器で築いた約600メートルの堤防の一部が決壊。増水していた水が、原子炉建屋や変圧器の周辺にも流れ込んだ。
オマハ電力公社は、燃料補充のため4月7日に同原発の運転を停止しており、NRCは今回の浸水でも使用済燃料棒冷却プールなどに影響はないとしている。
現場では浸水を受けて非常用ディーゼル発電機を稼働させたが、26日午後までに通常電源に戻したという。
NRCのヤツコ委員長は27日、同原発のほか、同じく周辺一帯が浸水しているクーパー原発の視察を計画している。
』
『
CNNニュース 2011.06.27 Mon posted at: 09:51 JST
http://www.cnn.co.jp/usa/30003193.html
原発の防水設備が一部決壊、洪水被害のネブラスカ州
(CNN) 周辺一帯が洪水に見舞われている米ネブラスカ州のフォートカルフーン原子力発電所で26日、浸水を食い止めるための防御設備の一部が決壊した。
同原発を運営するオマハ電力公社は、発電所が安全であることに変わりはないと強調している。
オマハ電力公社によると、決壊したのは水を詰めた容器で築いていた堤防で、容器に機械のようなものが接触して穴が開き、しぼんだという。
しかし
「発電所は引き続き防御されている。
(決壊したのは)補助的な、2次的なレベルの防御設備だった」
と広報は説明している。
同原発の運転は燃料補給のため4月から停止中。
ミズーリ川の氾濫により、補助建屋周辺など敷地の一部は既に浸水しているが、決壊した設備のほかにも水門などの障壁を設けて水をせき止めている。
設計上は、基準水面から最大約309メートルまで水位が上昇しても耐えられるという。
ミズーリ川の現在の水位は約306メートル。
同公社は、307メートルを超すことはない見通しだとしている。
ミズーリ川は、上流のモンタナ、ノースダコタ両州で続いた豪雨やロッキー山脈の雪解け水などの影響で増水し、下流の堤防が次々に決壊、周辺の住民に避難勧告が出されている。
』
『
2011/06/23 09:46 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062301000238.html
米加州、新規原発賛成が大幅減少 地震多発地帯
【ロサンゼルス共同】米西部カリフォルニア州での新たな原発の建設を支持する同州の有権者は38%で、1年前の48%から大きく減少したことが、マーケティング会社フィールドリサーチ(サンフランシスコ)が22日に発表した電話世論調査の結果で分かった。
反対は44%から58%と大幅に増加した。
同州は大きな断層がある地震多発地帯で、二つの原発が稼働中。
東日本大震災に伴う福島第1原発の事故のほか、同州の太平洋沿岸部には震災による津波が到達したこともあって危険性が意識され、世論が大きく変化したとみられる。
』
また、別の州では山火事も迫っているという。
『
CNNニュース 2011.06.15 Wed posted at: 18:14 JST
http://www.cnn.co.jp/usa/30003082.html
アリゾナ東部の山火事、史上最悪規模に
(CNN) 米アリゾナ州東部で発生し、隣接するニューメキシコ州に広がる山火事は、14日までに史上最悪の規模に達したとみられる。
山火事による焼失面積は両州で計19万ヘクタール。
これまでアリゾナ州史上最悪とされていた2002年の山火事では、同州ロデオ近郊で18万7000ヘクタールが焼失した。
火の手はさらに広がり続け、鎮火率は18%にとどまっている。消防当局者によると、同日までに建物32棟が損壊し、7人がけがをしたが全員軽傷だった。
予報では今後、北西の風が吹くとみられ、これまで被害のなかった南方への延焼が懸念される。
現場には4700人以上の消防要員が出動している。
同州では気温が高く乾燥した天気が続いているため、このほかに少なくとも4カ所で山火事が発生し、焼失面積は計10万ヘクタールに上っている。
』
『
CNNニュース 2011.06.29 Wed posted at: 12:56 JST
http://www.cnn.co.jp/usa/30003217.html
核研究施設に山火事迫る ニューメキシコ
(CNN) 米ニューメキシコ州で26日に発生した山火事が、核研究施設のロスアラモス国立研究所の敷地に迫り、周囲の住民らが不安を訴えている。
火災は私有地で発生し、サンタフェ国有林に広がった。
28日までに焼失面積は約2万4000ヘクタールに達し、付近に住む1万人近くが避難している。鎮火の兆しはみられない。
サンタフェ近郊ではこのほかにも落雷などによる山火事が複数発生し、乾燥した強風にあおられて延焼を続けている。
研究所は同市の北西約56キロに位置する。
マクミラン所長は28日の会見で、敷地内では27日に小規模な火災が発生したが消防担当者がすぐに消火したと述べ、危険物質はすべて適切に管理されていると強調した。
同日中に核安全保障局(NNSA)による放射能漏れ調査が予定されているとも語った。
ロスアラモスの消防責任者によると、山火事は研究所敷地の南端に達し、西方向からも迫っている。
研究所は一時閉鎖され、再開は30日以降となる見通し。
従業員には絶対に必要な場合以外は近付かないよう指示が出ている。
ニューメキシコ州のマルティネス知事は28日の会見で、同研究所について住民の安全にかかわる情報はすべて公開すると約束した。
また、火災予防のために7月4日の独立記念日やそれ以降の花火は避けるよう呼びかけた。
』
史上最悪規模というのは「想定外」ということである。
想定外というのは、常に起こりうる、ということでもある。
自然は甘くない。
先般の竜巻は原発の直撃はなかった。
しかし、今後ないとはいえない。
おそらく、あの規模で原発直撃であったら、どうなっていただろうか。
想定外は必ず起こる、ということでもある。
◇ ヒマつぶし検索
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● 米ミズーリ川の氾濫で、周囲が水に漬かったネブラスカ州のフォートカルフーン原発=24日(ロイター)
『
CNNニュース 2011.06.24 Fri posted at: 10:30 JST
http://www.cnn.co.jp/usa/30003169.html
洪水で原子力発電所が浸水、監視続く 米ネブラスカ州
米中西部を流れるミズーリ川が氾濫し、ネブラスカ州にある2基の原子力発電所の一帯が洪水に見舞われている。
米原子力規制委員会(NRC)は23日、両施設とも安全対策は万全との見方を示し、たとえミズーリ川の氾濫が数週間続いたとしても、発電所に被害が出ることはないと強調した。
同州のフォートカルフーン原発は、既に敷地の一部が60センチの水に浸かった。
しかし原子炉や変圧器などの重要設備は防水壁で囲み、非常用のディーゼル発電機や送水ポンプ、土のう、消火装置などの設備も増強。
同原発は周辺一帯の洪水を受けて6月6日に「異常事態」を宣言、NRCが検査官を派遣して24時間態勢で状況を見守っている。
燃料補給のため運転は4月から停止中だという。
一方、フル稼働中のクーパー原発も19日に異常事態を宣言したが、現時点で敷地の浸水には至っていない。
NRCは、もし必要になれば同原発の検査官も増員する意向だとしている。
ミズーリ川は、上流のモンタナ、ノースダコタ両州で豪雨が続いた影響で増水し、下流の堤防が次々に決壊、周辺の住民に避難勧告が出されている。
フォートカルフーン原発を運営するオマハ電力公社はウェブサイトに専用ページを設け、放射性物質が放出された事実はないと説明するなど、デマの打ち消しを続けている。
』
大雨による洪水程度でおかしくなるほど原発はヤワにはできていないだろう。
もし、この程度で問題が発生するようなら、アメリカの原発は直ちにすべて止めないと危なっかしく見ていられない。
しかし、こんな場所に原発などつくるべきではない。
福島のように「想定外」という事態は常に起こりうるということだろう。
『
産経ニュース 2011.6.27 14:22
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110627/amr11062714240006-n1.htm
原発で非常電源作動 米ネブラスカ州 洪水で水流れ込む
米ミズーリ川の氾濫により周囲が水に漬かったネブラスカ州のフォートカルフーン原発で26日、防水のため設置された臨時の堤防が壊れ、施設内部に水が流れ込んで電源が一時失われたため、非常用のディーゼル発電機を作動させた。AP通信などが伝えた。
その後、外部から電気供給が可能となり、非常用電源は必要なくなった。同原発を所有するオマハ電力公社や米原子力規制委員会(NRC)は、防水措置は何重にも施されており、安全性に問題はないとしている。
同原発は燃料補充のため4月上旬に運転を停止。その後も、洪水の可能性が高まったため停止を続けている。
同原発一帯は6月中旬までに水に漬かった。東日本大震災後の津波で福島第1原発の事故が起きたこともあり、住民から安全性を懸念する声が上がっている。(共同)
』
『
ロイター 2011年 06月 27日 12:45 JST
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-21899920110627
浸水被害の米ネブラスカ州原発、防水施設の一部が決壊
[ワシントン 26日 ロイター] ミズーリ川の氾濫で周辺一帯が浸水している米ネブラスカ州のフォートカルフーン原発で26日、防水施設の一部が破損し、原子炉格納建屋など重要施設の周囲にも水が迫った。
ただ、原子炉そのものに影響はないという。
米国原子力規制委員会(NRC)によると、現地時間午前1時25分ごろ、同原発の周囲に水入りの容器で築いた約600メートルの堤防の一部が決壊。増水していた水が、原子炉建屋や変圧器の周辺にも流れ込んだ。
オマハ電力公社は、燃料補充のため4月7日に同原発の運転を停止しており、NRCは今回の浸水でも使用済燃料棒冷却プールなどに影響はないとしている。
現場では浸水を受けて非常用ディーゼル発電機を稼働させたが、26日午後までに通常電源に戻したという。
NRCのヤツコ委員長は27日、同原発のほか、同じく周辺一帯が浸水しているクーパー原発の視察を計画している。
』
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CNNニュース 2011.06.27 Mon posted at: 09:51 JST
http://www.cnn.co.jp/usa/30003193.html
原発の防水設備が一部決壊、洪水被害のネブラスカ州
(CNN) 周辺一帯が洪水に見舞われている米ネブラスカ州のフォートカルフーン原子力発電所で26日、浸水を食い止めるための防御設備の一部が決壊した。
同原発を運営するオマハ電力公社は、発電所が安全であることに変わりはないと強調している。
オマハ電力公社によると、決壊したのは水を詰めた容器で築いていた堤防で、容器に機械のようなものが接触して穴が開き、しぼんだという。
しかし
「発電所は引き続き防御されている。
(決壊したのは)補助的な、2次的なレベルの防御設備だった」
と広報は説明している。
同原発の運転は燃料補給のため4月から停止中。
ミズーリ川の氾濫により、補助建屋周辺など敷地の一部は既に浸水しているが、決壊した設備のほかにも水門などの障壁を設けて水をせき止めている。
設計上は、基準水面から最大約309メートルまで水位が上昇しても耐えられるという。
ミズーリ川の現在の水位は約306メートル。
同公社は、307メートルを超すことはない見通しだとしている。
ミズーリ川は、上流のモンタナ、ノースダコタ両州で続いた豪雨やロッキー山脈の雪解け水などの影響で増水し、下流の堤防が次々に決壊、周辺の住民に避難勧告が出されている。
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『
2011/06/23 09:46 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062301000238.html
米加州、新規原発賛成が大幅減少 地震多発地帯
【ロサンゼルス共同】米西部カリフォルニア州での新たな原発の建設を支持する同州の有権者は38%で、1年前の48%から大きく減少したことが、マーケティング会社フィールドリサーチ(サンフランシスコ)が22日に発表した電話世論調査の結果で分かった。
反対は44%から58%と大幅に増加した。
同州は大きな断層がある地震多発地帯で、二つの原発が稼働中。
東日本大震災に伴う福島第1原発の事故のほか、同州の太平洋沿岸部には震災による津波が到達したこともあって危険性が意識され、世論が大きく変化したとみられる。
』
また、別の州では山火事も迫っているという。
『
CNNニュース 2011.06.15 Wed posted at: 18:14 JST
http://www.cnn.co.jp/usa/30003082.html
アリゾナ東部の山火事、史上最悪規模に
(CNN) 米アリゾナ州東部で発生し、隣接するニューメキシコ州に広がる山火事は、14日までに史上最悪の規模に達したとみられる。
山火事による焼失面積は両州で計19万ヘクタール。
これまでアリゾナ州史上最悪とされていた2002年の山火事では、同州ロデオ近郊で18万7000ヘクタールが焼失した。
火の手はさらに広がり続け、鎮火率は18%にとどまっている。消防当局者によると、同日までに建物32棟が損壊し、7人がけがをしたが全員軽傷だった。
予報では今後、北西の風が吹くとみられ、これまで被害のなかった南方への延焼が懸念される。
現場には4700人以上の消防要員が出動している。
同州では気温が高く乾燥した天気が続いているため、このほかに少なくとも4カ所で山火事が発生し、焼失面積は計10万ヘクタールに上っている。
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『
CNNニュース 2011.06.29 Wed posted at: 12:56 JST
http://www.cnn.co.jp/usa/30003217.html
核研究施設に山火事迫る ニューメキシコ
(CNN) 米ニューメキシコ州で26日に発生した山火事が、核研究施設のロスアラモス国立研究所の敷地に迫り、周囲の住民らが不安を訴えている。
火災は私有地で発生し、サンタフェ国有林に広がった。
28日までに焼失面積は約2万4000ヘクタールに達し、付近に住む1万人近くが避難している。鎮火の兆しはみられない。
サンタフェ近郊ではこのほかにも落雷などによる山火事が複数発生し、乾燥した強風にあおられて延焼を続けている。
研究所は同市の北西約56キロに位置する。
マクミラン所長は28日の会見で、敷地内では27日に小規模な火災が発生したが消防担当者がすぐに消火したと述べ、危険物質はすべて適切に管理されていると強調した。
同日中に核安全保障局(NNSA)による放射能漏れ調査が予定されているとも語った。
ロスアラモスの消防責任者によると、山火事は研究所敷地の南端に達し、西方向からも迫っている。
研究所は一時閉鎖され、再開は30日以降となる見通し。
従業員には絶対に必要な場合以外は近付かないよう指示が出ている。
ニューメキシコ州のマルティネス知事は28日の会見で、同研究所について住民の安全にかかわる情報はすべて公開すると約束した。
また、火災予防のために7月4日の独立記念日やそれ以降の花火は避けるよう呼びかけた。
』
史上最悪規模というのは「想定外」ということである。
想定外というのは、常に起こりうる、ということでもある。
自然は甘くない。
先般の竜巻は原発の直撃はなかった。
しかし、今後ないとはいえない。
おそらく、あの規模で原発直撃であったら、どうなっていただろうか。
想定外は必ず起こる、ということでもある。
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