2011年6月15日水曜日

小惑星探査船「はやぶさ」





● JAXAより 


「はやぶさ」の帰還は実に感動的でしした。
インターネットにかじりついていました。
でもJAXAはパンクして、文字情報だけ。
和歌山大学が発信する映像に食い入るように見ていた。
が、翌日にはNHKが実にあざやかな映像を公開した。
なぜ、NHKはリアル放送しなかったのか。
税金で運営されていながら、勝手なもんだと文句が出た。
でも、はやぶさの帰還は涙なみだであった。


2011年06月14日15時14分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/799/140799.html?servcode=300&sectcode=330

日本の自尊心、小惑星探査船「はやぶさ」





















  2010年6月13日、日本の宇宙探査船「はやぶさ」が打ち上げから7年ぶりに地球に帰還した。
日本メディアは「不死身はやぶさ」として連日トップニュースで報道し、日本全体がお祭りムードに包まれた。
感動的なドラマだとして涙を流す人たちもいた。
日本国立科学博物館は100日間、「空と宇宙展--飛べ!100年の夢--」特別展示会を開いた。

  なぜ、「はやぶさ」に熱狂したのか。
「はやぶさ」は日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発した重量510キロの小惑星探査船。
人々が熱狂した理由は大きく3つある。

  まず「はやぶさ」は宇宙探険史に新しい里程標を立てた
初めて地球から3億キロ離れた小惑星「イトカワ」に着陸し、岩石微粒子1500個を採取して地球に帰ってきた。
期間は7年もかかった。
飛行距離は60億キロにもなる。 地球から太陽までの距離の40倍にもなる。

  そうだとしてもそれほど感動的なことなのか。
そうだ。
「はやぶさ」が経験した劇的な探査過程のためだ。
「はやぶさ」は地球を離れてから2年4カ月後に小惑星イトカワに到着した。
しかし予想しなかったさまざまなトラブルが発生した。
姿勢制御装置が故障し、アンテナが地球の方向に向かず通信が途絶え、燃料漏れ、バッテリー放電、行方不明、軌道離脱、エンジン故障など数多くの試練を迎えて人々を心配させた。

  しかしその都度、忍耐と根気、奇抜なアイデアと技術で危機を乗り越え、一つのドラマが演出された。
そしてついに満身瘡痍になった体で任務を遂行し、不死鳥のように生きて地球に帰ってきた。
ボクシング映画「ロッキー」やアクション映画「ダイハード」のように。

  最後にサンプルが入ったカプセルをオーストラリアの砂漠に落とし、「はやぶさ」は大気圏に入って燃え尽きた。
その姿はたとえ機械とはいえ、感動を与えるのに十分だった。

  「はやぶさ」の本来の名前は「MUSES-C(Mu Space Engineering Spacecraft C」だった。
しかし打ち上げの305秒後、惑星の軌道に入ると、JAXAは名前を「はやぶさ」に変えた。
なぜか。
  「はやぶさ」はタカだ。
ハヤブサはタカの中でも速度が最も速い。
時速300キロまで出る。
日本人にとってハヤブサは速度の象徴だ。
韓国空軍の象徴がタカであるように、ハヤブサは日本航空自衛隊の象徴だ。
第2次世界大戦に参加した日本戦闘機の名前も「隼」だった。

  もし最初から「はやぶさ」という名前を付け、打ち上げに失敗でもすれば、日本宇宙技術の自尊心が大きく落ち、宇宙産業ブランドの信頼度も悪化する。
このため打ち上げ成功を確認した後、すぐに名前を「はやぶさ」に変えたとみられる。

  小惑星イトカワの正式名称は「25143Itokawa」だ。
地球と火星の間にあるこの小惑星は長いジャガイモのような形で、大きさは約500メートル。
98年に米国の観測チームが初めて発見した。

  天体に名前を付ける方法はさまざまだ。
すい星には発見者の名前を付ける。
小惑星に発見者が名前を付けることができるが、通常は自分の名前は使わない。
軌道が確定すれば固有番号とともに通常、人や場所の名前を付ける。

  小惑星に名前が入ったロケット科学者は「ロケットの父」ツィオルコフスキー(ロシア)とソ連初の人工衛星「スプートニク」と「ボストーク」の開発を主導したコロリョフ、そしてイトカワの3人だけだ。

  日本ロケット開発の先駆者・糸川英夫は1935年に東京帝国大学航空学科を卒業し、「中島飛行機」で戦闘機「隼」の開発にもかかわった。
53年に米国留学から戻り、日本初のロケット「ペンシル」を開発した。
55年に初めて発射実験をした「ペンシル」は直径1.8センチ、重量230グラムと、まさに鉛筆の大きさの小型ロケットだった。

  しかし今回の件で人々が驚いたのは「はやぶさ」プロジェクトで見せた日本の先端科学技術だ。
特に「イオンエンジン」は驚異的だ。
イオンエンジンはプラズマ噴出で推進力を得る。
燃費が非常によく、化学エンジンの10倍を超える。
「はやぶさ」の場合、キセノンガス60キロで60億キロを航海しても20キロほど余った。
今後、深宇宙開発の寵児になるとみられる。

  その次はカメラで撮影した画像とレーザー高度計で得た距離データに基づき探査船が自律的に接近・着陸する技術だ。
小惑星イトカワは地球から3億キロ離れている。
光速で17分の距離だ。
電波で指示を送れば17分かかる。
これでは状況の変化に適切に対応できない。
したがって「はやぶさ」は自律的に行動する機能を持つ。
そのほか「微小重力」下にある天体の表面の標本を採取する技術など、さまざまな新技術が採用された。

  メディア報道によると、韓国の宇宙開発レベルは日本に50年、中国に40年ほど後れているという。
経済は厳しい状況だが、日本は宇宙開発に韓国の10倍以上の予算を毎年投入している。


【コメント】
手塚治虫は、鉄腕アトムの誕生年を2003年に設定している。
この年の5月、小惑星サンプルリターンの技術を確立するためのMUSES-C探査機が打ち上げられた。
その自律探査ロボットとしてのMUSES-Cの性格から、投票では「あとむ」あるいは「アトム」の人気は高くトップ得票だった。
しかし選考委員会で誰かが「アトムって原爆を思い出さない?」と問いかけたことからボツとなり、第二位の「はやぶさ」に。
猛禽類のハヤブサのように獲物を捕らえて舞い上がるの意。
結果としては好評であった。。。。との事ですがぁー・・・

心込めて製品を作り完成後も強い愛着を持つのは日本人の個性だ。 
打ち上げてから連絡も付かず一時行方不明になったり推進ロケットが全てダメに成っても部品の組み合わせを換えて作動させたりして7年かけて地球に戻ったのだ。
多くの日本人は苦労して長旅から戻った我が子を迎える気持ちに成ったのだ。 
最後まで諦めなかった地上操作員の根気に敬服する。

「はやぶさ」のことだが、これは日本人科学者・技術者の自尊心と言うよりも、未知への挑戦精神の方がはるかに大きい。
だからロマンがある。
夢がある。
希望がある。
そして成功すれば感動する。
一方、自尊心にはロマンが見えない。
夢も見えない。
希望も見えない。
あるのは自己満足と虚栄心の塊である。
だから感動がない。
人を感動させない。
夜のオーストラリア砂漠の上空で「はやぶさ」本体は、カプセルをまるで大事なわが幼子の命を助けるかのように放出すると、みずからは大きな火の玉となって散って行った。
最後の瞬間の大きな輝きは、観る人々を感動させた。
苦しかったその長い旅を思うと、胸に熱くこみ上げるものがあった。
「はやぶさ」はマシンであるが、「はやぶさ君」という人間の仲間の名前で我々日本人の心の中に記憶されている。



様々なビデオが公開されている。

『   
宇宙版プロジェクトX 小惑星探査機ハヤブサ
#1

#2

#3




はやぶさ おかえりなさい /Hayabusa re-entry




小惑星探査機「はやぶさ」帰還編





 ◇ ヒマつぶし検索 


_